「その不安、ニセモノではありませんか?」

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水島広子先生の新作です。

今回も備忘録として心に刺さった一節を

書き出しました。

 

 

 

人はなぜか必死に

「それでも怖れていなければいけない理由」

を見つけようとするものだからです。

 

中略

 

人間の本質は「怖れ」だと信じ込んでおり

今まで「怖れの目」を通して、人や物事を

見てきて、その世界になれてしまっている

のですね。

 

 

 

「身体の姿勢」の歪みは、見ればわかるので

整えやすいのですが「心の姿勢」のほうは

そうはいきませんね。 でも大丈夫です。

「心の姿勢」が整っているとき、私たちは

「やすらぎ」を感じるからです。

 

中略

 

ドキドキしたり、イライラしたり・・・・

 

中略

 

そのような気持ちになったときに

「ああ、私は『怖れ』ているのだ」と思えば

ほとんどクリアーです。 なぜなら

「心の姿勢」は、関心さえ向けることが

できれば、案外簡単に転換できるからです。

 

 

 

どれほど誠実に生きていても、結果は

コントロールできないのです。

 

中略

 

それは多くの場合、人智を超えたこと。

結果にすべてをかけていたら、心が

折れてしまうでしょう。

 

 

 

「怖れ」の姿勢から「うまくいくだろうか」

「間に合うだろうか」「ちゃんとした評価が

得られるだろうか」などと不安に思っている

ときには、それだけ過去や未来に気が散って

しまっているということ。

 

決して心は現在にないのです。

 

 

 

相手に目を向け、見返りを求めずに

「自分が相手にできることは何か」に

目を向けてみるのです。  お礼が返って

こなくても「ああ、よいことができた」と

いう自己満足で十分なのです。

 

中略

 

「私が」親切にしているのではなく

親切が私を通り抜けていった、といったら

よいのでしょうか。

 

 

 

人は、どれほど最悪を考えて準備していたと

しても、それが実際に起こると、やはり衝撃を

受け傷つくものなのです。

 

中略

 

「最悪のことを考えて、怠けないようにする」

といった古来の考え方を切り替えたほうが

よいように思います。

 

特に悪い結果を想定せず(意識を未来に向けず)

できるだけ目の前のことに(今に集中して)

取り組む。

その結果、うまくいけば喜ぶし、失敗したら

そんな自分をねぎらい癒し、作戦を練り直す。

 

 

 

ジャッジメントにとりつかれている限り

人間は幸せになれない、と私は断言することが

できます。

 

 

 

自分の最低ラインを「健康」においてみるのは

どうでしょうか。

 

 

 

自分に対して「あれもできない」

「ここも欠けている」とダメだしばかり

していると、不安でいっぱいの人生から抜け出す

ことができません。

何をやっても足りないような気がして「怖れ」に

とらわれっぱなしだと思います。

 

何を買っても結局「足りない」。

何かの資格を取っても結局「足りない」。

 

「怖れ」の世界の住人でいる限り、この構造から

抜け出すことはできません。

 

大切なことは、「怖れ」を脱して「温かいここら」

に戻ること。

 

 

 

自己効力感をもつ秘訣は「与える」こと。

道で出会った人にちょっとしたやさしさを「与える」。

家族に、やさしい言葉を「与える」。

そうした行動によって、自己効力感は徐々に

育っていくでしょう。

 

 

 

自己効力感、そして「自分はありのままでいい」と

認識する自己肯定感もそうですが、幸せに生きていく

ために、私はこうした「自分についてよい感じをもつ」

ことをとても大事にしています。

 

 

 

「人間の本質は温かいものだ。だから自分が温かい

行動を続けている限り、呼応してくれる人が出てきて

くれるはずだ」

 

 

 

本物の不安・・・・

危険を知らせるアラーム

 

偽物の不安・・・・

「怖れ」によって作り出される幻のアラーム

 

 

 

それでは・・・・。