どういうふうに、本を読むかということに関心のあるかたは多いと思いますが、ご多分にもれず私もその中の一人です。そんな訳で気になる"読書本"があったので読んでみました。
著者は司法試験合格請負人の伊藤真さん。
この方の本を読むのは初めてです。
実践的で非常に分かりやすい内容でした。
ほんでもって参考になる箇所が多数ありましたので、いつものように備忘録です。
私にとっては、たった一行でも、一フレーズでも自分の心に響くものがあれば、読む前よりも自分を「成長」させてくれたということで、「良書」にあたります
自分と同意見の人の本でも、専門家だったり、権威がある人だったり、立場が違うときには、自分の考えの根拠がより明確になります
ちなみに私はこの目的で本を選ぶことが多いです
本は、私にとって「考えるための素材」です。徹底的に汚し、使い倒します。どれくらい汚れているかが、その本を自分のものにできたかの目安といってもいいでしょう。たとえて言えば、食べ物のと同じです。食べ物は、生のじゃがいものまま、豚の生肉のままでは、体の栄養になりません。切り刻み、火を通し、歯でよく噛んで、原形をとどめないまでくずして、ようやく栄養として消化され、自分の血や肉になるのです。
「要するに」を考え、「推理」しながら読む
「成長」とは、昨日の自分より、今日の自分が少しだけ変わったと思えること
映画は「映像」、音楽は「音」で心に訴えかけるのに対して、本は「言葉」を使っている
本は読んだ人によって感じ方が違うのがおもしろい
中略
何をどう感じるかは、その人の経験や価値観、ふだん関心を持っているものによっても違います
中略
感じ方が人と違っていたとしても、「読み方が浅い」とコンプレックスを感じることはありません
本はすべて自分なりの受け止め方でいいのです。読書に正解はないからです。
作者が送り出した情報を、どのように読者が受け取って、どのように解釈するか。読者というものが存在して、初めて読書は完成します。受け止め方は人によって違って当たり前だし、どの受け止め方が正しくて、どの受け止め方が間違っている、などという決まりはありません。
中略
自分の経験なり、思想なりに合わせた読み取り方でその本を完成させればいいだけなのですから、かりに書評や批評と違った読み方をしていても、まったく気にすることはないのです。
「知らないことを知っていると思いこんでいる人間より、知らないことを知らないと自覚している人間のほうが賢い」ソクラテス
ソクラテスによれば、もし死んで何もかもなくなってしまうのなら、悩んだり、考えたりすることから解放されるのだから、こんなに幸せなことはない。反対に死後の世界があるなら、そこで先に死んだヘシオドスやホメロスなどと自由に議論できるので、これも幸せである。つまり、死ぬのは何ら不幸なことではない。「生も死も等価値である」という真理を述べていたのです。
本を読むことで、著者と出会い、自分の中の何かが変わっていく。それを「成長」といってもいいと私は思います 村上春樹さんは、人の才能は油田や金鉱と同じで、どれほど豊かな才能であっても、掘り起こさなければ、いつまでも地中に眠りっぱなしだと書いています
本に書いてあることならば、わざわざ私が説明しなくても、その本を読めばすむだろうと思ってしまうのです。私がやることは、本に書いてあることをそのまま吐き出して伝えるのではなく、書いてあったことをもとに私が考えて付加したり、モディファイしたりしてアウトプットすることです
人生は、生き続ける過程そのものに価値があります。「死」という結果に向かう過程、そのプロセスの中でいかに自分が成長できるか、いかに幸福感を持てるのか、その総量が人生の幸せなのだと思います
読書について学びたかったのに「人生」を学びました。私にとっていい本でした。
それでは・・・・。