即効性あり ◆ 「すぐに役立つとっておきの考え方」

「うまくいっている人の考え方」がベストセラーになったジェリー・ミンチントンさんの第二弾にあたる本のようです。

 

「うまくいっている人の考え方」がとても簡潔で読みやすい分量でしたが、これはそれを“補完”する感じと言えばいいのでしょか?主張はそのままで、より詳しい説明がなされています。

 

 

この人の著作は、妙に説得力があるので、私のお気に入りです。

 

心理学者のロジックとデール・カーネギーの洞察を足して2で割ったような・・・。

 

とにかく響きます(笑)。

 

 

ほんでもって、備忘録です。

 

私たちが自分に対してどうふるまうかによって、他人は私たちに対してどうふるまえばいいかを判断する。私たちが自分を好きになれば、他人が私たちに接する態度も改善される。

 

 

 

経済、職業、人間関係などのどの面においても、自分がその恩恵に値する人間であると信じるときにだけ、人生は向上する。もしそう信じないなら、いくら変化を遂げても欲求不満が募るだけだ。

 

 

 

現代の教育システムを通過することの重大な結果の一つは、他人と歩調を合わせてやっていくことが大切だと信じるようになることだ。こうして私たちは、「調和」という名のもとに自分の個性を抑圧することを覚えた。

 

 

 

これまでの人生で起こった変化を注意深く思い起こせば、いいことをもたらしたのは変化の過程であることがわかるだろう  タルトハング・トゥルク 思想家

 

 

 

私たちがとる膨大な種類の行動のなかで、本能的におこなっているのはほんの少ししかない。大部分は他人の行動のまねをして身につけた行動様式である。

 

 

 

自分を受け入れることを妨げる最大の壁は、自分が他人の目にどう映っているかを絶えず気にすることである

 

 

 

他人からの評価は自己評価よりも正確で事実に根差しているだろうか。そんなことは恐らくない。彼らの認識は私たちの認識と同じように偏っている。ただ、その偏り方が異なるだけだ。他人の意見を気にすることは非生産的である。何の見返りもなく、悩みが増えるだけだ。他人が私たちの欠点をどう見ているかを想像しようとすると、それが実際以上に大きく思えて深刻な様相を帯びてくる。私たちが他人からどう思われているかに思い悩んでいる一方で、他人も私たちからどう思われているかに思い悩んでいる。

 

 

 

悩みを抱えて苦しんでいるのは自分だけだと思い込んでいるのは、自分の悩みばかりが気になって他人の悩みにはあまり関心を示さないからだ。

中略

自分の問題が特殊なように思えるのは、自分のことばかり考えているからだ。 他人に好かれてボーナスがもらえるわけではなく、多くの人に好かれたからといってより善い人間になるわけでもない。現実的な観点からすると、すべての人に好かれるべきだという理由もなく、私たちが彼らを好きになるべきだという理由もない。

 

 

 

幼い子供は別として、恥ずかしくて人に言えないような秘密を持っていない人や自分の秘密が最低最悪だと信じていない人は、この世の中には一人もいない。世間に暴露されても平気でいられるほどの、まったく汚点のない人生を送っている人はどこにもいないのだ。

 

 

 

私たちは自分が他人と違っているという理由で落ち込むことがあるが、むしろ喜ぶべきなのだ。もし私たち全員が似ていれば、人生は耐えれないほど退屈になる。

 

 

 

私たちは人間として価値がない存在ではない。まだ物心がつかない幼いころか、理論的に反駁できない若いころに、そう思い込まされただけなのだ。

 

 

 

私たちは自分を責める習慣を取り除く必要がある。自分の在り方を批判したり嫌ったり拒絶したりしても、何の向上にもつながらない。

中略

自分を含めてこの世のすべての人が欠点を持つ不完全な人間であり、ほとんど毎日何らかの過ちを犯しつづけて生きているという事実を認めよう。

 

 

 

他人に認められたいと思うことの害

他人によく思われたいと決意した瞬間に、私たちは思いどおりの生き方をする自由を失う

 

 

 

他人からどう思われているかを心配すると、緊張のあまり、自分が今していることに専念できなくなる。例えば、私たちは人前で話すときによく緊張するが、その原因は、聴衆に情報を提供したり楽しませたりすることよりも、自分が聴衆にどういう印象を与えているかに気をとられているからだ。

 

 

 

私たちが他人に認められようとするのは、自分で自分を認めていないからだ 必要なのは、他人に好かれることではなく、自分について気分よく生きるためには他人に好かれる必要などまったくないことを理解することである。要するに、自分で自分を認めることが大切なのだ。

 

 

 

私たちが下すすべての決定は、私たちが自分の生活環境や基礎知識や問題意識に基づいてそのときにできる最善の決定である

 

 

 

他人に行動様式を改めさせようとするなら、そうしたほうが特になるという根拠をしめさなければならない

 

 

 

自分と他人を比較することによって自尊心を得ようとすることは、自尊心の源を他人にもとめることだから、他人への依存という結果を生む。自分が価値ある存在だと感じるために他人の失敗をあてにすることは、自尊心を低めることにつながる。

 

 

 

この世には完全も確実性もない。したがって、それが見つかることを期待するのは不合理だ。 ジェラルド・クランツラー 心理学者

 

 

 

私たちを最初に批判した人である親からすでに離れて暮らしていても、あるいは死別していても、彼らのの言葉は私たちに染みついている。私たちは想像上の不完全についての記憶に基づいて心のなかに「批判者」とつくり出し、自分で自分を批判する。

 

 

 

完全主義が望ましくて達成可能な目標だと信じると、どうでもいいことに多くの時間を浪費するようになる。ささいなことにまで気を配り、比較的短時間ですませられるはずの簡単なことにのめり込んでしまう。

中略

すべてのことに完全を期そうとすると、優先順位がつけにくくなる。自分の能力だけでなく判断力までも信頼できなくなるために、優柔不断になりやすくなる。

 

 

 

完全主義者は達成可能な目標を立てるのではなく、理想の解決策を模索する。すべての問題に完全な答えがあり、がんばればきっとそれが見つかると信じている。

 

 

 

完全主義者は自分の外見や行動、態度などが完全でないと思っていつも気にしている。自分がどれだけ完全であるかによって自分の価値を判断するから、自分を十分好きになれない。ありのままの自分に価値を見いだすことができず、小さいころに押しつけられた不合理な理想に応えようとして不相応な価値観を追い求める。私たちは完全を求めることで自分を厳しく限定してしまっている。というのは、自分が完全でないことを恐れるので、十分うまくできると確信できることだけに取り組むように自分を限定し、自分が完全でないことをあらわにするおそれがあることを注意深く避けるからである。

 

 

 

完全であることは完全主義者の目的ではなく、目的を達成するための手段にすぎない。本当の目的は、小さいころに親から与えられなかった無条件の愛を得て、受け入れられることなのだ。私たちは、親を喜ばせる能力と自分の人間としての価値を同一視することによって完全主義に固執するようになった。

中略

完全であることを切望するのは、それが望ましいからではなく、それによって自分の「正しさ」と「存在価値」が確認できるように思っているからである。

 

 

 

自然が真空状態を嫌うのと同じように、心も空っぽの状態を嫌う。変化を容易にするために、このことを思い起こそう。悪習を排除したいなら、それを良い習慣と入れ替えればいいのだ。

 

 

 

自分の人生がコントロールできるようになると、自分をそれまでよりも高く評価できるようになる  

 

 

 

心はしもべとしては素晴らしいが、主人にするには好ましくない

 

 

 

私たちの不満の根本原因は、持っているものより、持つべきだと信じているものにあるようだ。たとえば、満たされない願望、遂げられていない野心、実行できていない計画などだ。つまり人生で期待していたことの多くが実現していないことに不満の根源があるのだ。

 

 

 

将来に関する確実性について言えることは、どんなに注意深く計画しようと、予期していることと予期していないことの両方が起こるということだけだ

 

 

 

どんなに否定的に見える出来事からでも肯定的な要素を見いだすことができる

 

 

 

悲観主義者はすぐに「これは悲惨な状況だ!」と悲鳴を上げるものだが、楽観主義者は「この状況をどうすれば私の利益になるように生かせるだろうか」と考える

 

 

 

自分の身に起こった出来事を自分の有利になるように解釈できれば、生きていくうえで主導権が握れる

 

 

 

いろいろ気づかせてくれる、ためになる内容でした。

 

 

 

それでは・・・・。