幸福の追求だと思ってやっていることは・・・ ◆ 「ブッダの教え一日一話」



またまたスマナサーラ長老の本です。

 

タイトル通りブッダの教えがカレンダーのように、1日に1テーマで書いてあります。

 

簡潔でありながら、ハッとさせられる言葉のオンパレード。

 

 

テーラワーダ仏教に触れると、「大乗仏教ってどうなん?」という感じになります。本屋さんたくさん並んでいる仏教のお坊さんの書籍。そのほとんどが大乗仏教系なので、それを除外すると選ぶのが楽かもです(笑)。

 

 

ほんでもって備忘録。

 



さまざまな苦しみの中から、自分にとって有意義な苦しみをを選びましょう

 

 

 

人生を「障害を乗り越えるゲーム」ととらえましょう

 

 

 

苦のもとは、たったひとことで言えば、「嫌だ」と思うことです

 

 

 

幸福の追求だと思ってやっていることは、Aという苦しみに耐えられなくなって、Bという苦しみへ「引っ越し」することなのです

 

 

 

いままであった苦しみがさっと消える瞬間に「気分がいい」と感じます

 

 

 

それなりに不幸でないと、喜びはないのです

 

 

 

「自我」がまわりの人々に、「妻」「子供」「部下」と、いろいろな役割を割りあてて、「そのとおり演じなさい」と求めるのです。相手が自分の期待したパートを演じないと、怒ったりするのです。自分が監督で、世界は自分の思ったとおり動いてほしいと思うのです。

 

 

 

「捨てるのはもったいない。申し訳ない」という気持ちもわかりますが、「解放されたぞ」という気分で、すっきり捨てましょう

 

 

 

必要以上にものがたくさんあるのは、多くを依存していて、人格ができていないのです。高価なものを置きたがるのは、依存が強くて気が弱いのです。

 

 

 

「得る道」は、依存を増幅する道です。不自由な道です。「捨てる道」は、自由を獲得する道です。

 

 

 

生命は他からの支えがないと、成り立ちません。生きるとは、あらゆるものに支えられていることです。それは「布施されている」ということなのです。だから多量の布施を受けて生きている私たちは、「他の役に立つ」という布施を行わなければならないのです。

 

 

 

結果はもはや変えられません。しかし、原因は変えることができます。原因が変われば、結果は変わります。

 

 

 

人はとにかく不完全なものです すべてのものは不完全。何ひとつ完全なものはない。それが真理です。「いかに完全に近づくか」ということが、生きる道です。その道は限りがなく一生続くのです。

 



哲学的なことは生き方とは無関係

「宇宙の心理とは何か」「仏とは何か」などと、えんえんと論じても、意味がありません。そのような議論は、生き方とはまったく関係のないことであり、それによって心が清らかになるわけではありません。

 

 

 

自信がないと、神の力とか、宇宙の力というようなものに頼ろうとします

 

 

 

世の中にあるのは、神の力ではなく、「変化する」という法則です

 

 

 

私たちは、いつでも自分を評価して生きています。

中略

悪いことをすれば、自分の良心が、自分に高得点を入れることはありません。

 

 

 

「いま・ここ」の自分を観察することで、妄想は止まります。

中略

でも、油断しないでください。心は「いま・ここ」から脱線したがるのです。心は破滅的な妄想が好きなのです。そんな心のからくりに負けないように。

 

 

 

私たちは妄想に時間を費やして、「いまできること」をきちんとやっていないのです。そうなると、やがて自己嫌悪に陥ってしまいます。自己否定から、未来への希望をふくらませます。すると、ますます「いまできること」をやらなくなってしまいます。

 

 

 

「私」という実感があらわれるたび、人はわがままになって、かたくなになっていくのです。ほんとうは、「私」は、流れる川のようなもので、生きるという「流れ」に過ぎないのです。「私」という実感は、流れる川を止まっていると認識するような、錯覚です。

 

 

 

無駄な知識は不要なだけでなく、かえっていのちとりにもなります。あまり余計なことを考えすぎて妄想が膨らんでしまいます。そのため、いまやるべきことがおろそかになって、いつも不安と焦りで追い立てられているような生き方になってしまうのです。

 

 

 

生命は、目的なく走り続けています。

中略

不安と苦しみのため、「何かをしなければいけない」と、焦っていろいろなことをやっているのです。これが、生命というものの本質です。この不安と苦しみの消えた状態こそ「悟り」なのです。

 

 

 

「世の中は問題ばかりだ・・・」と言ってっ困った顔をする人がいます。しかし、この世の中で問題にならないものが、何ひとつとしてあるでしょうか。 

 

 

 

心はいつも楽なことを選びます。心は慣れているもの、クセになっているもの、簡単に行えるものを、先に選ぶのです

 

 

 

怠け心を絶った瞬間から、人生はとれも楽しくなります

 



未来に願いをもつよりも、「いまの自分には何ができるか」を考えたほうがいい。「今の自分を、どう向上させていくか」が大切です

 

 

 

いま何をやっているかによって、次の結果が出ます。つねに「いま」、いいことをやっておけば、次はいい結果がでるのです。

 

 

 

人は妄想するのが楽しみなので、シンプルな人生は嫌なのです。幻想の世界に閉じ込められると、「いまここの人生」は失敗してしまいます。

 

 

 

人は、いいことなら「いつか」やるつもりでいます。「そのうち」「あとで」と、先延ばしします。悪いことなら、いますぐやれます。「いまだけのことだから」とやってしまいます。

 

 

 

人の寿命は秒数で計算できるのです。そうとらえると、人生とは一秒一秒、回数券が減っていくだけなのです。

 

 

 

会社選びは、「自分が発展できるかどうか」というところで決めるのがいいのです

 

 

 

日々、自分を育てる

 

 

 

人が変わらないと何も変わらない

文明が進歩し、生活環境は便利で快適になりました。さまざまなトラブルに対処するために、法律を定めたり、システムをつくったりしますが、本質は何も変わっていません。それは結局、「人」が変わっていないからでしょう。

 

 

 

どんなことがあっても、その都度、この経験から何を学べるのかと、人格向上に努めるのです

 

 

 

仏教では、人格を育てることを目的としているのです。行為を行うにあたって、儲かるとか、有名になるとか、有利になるということではなく、「人格が向上するかどうか」を基準にして生きることが大切です。

 

 

 

宇宙のはてや起源、大きさなどは、学んでも役に立たないし、やりきれません。これらのものは、学ばないほうがいいのです。それよりも、「どうすればよい人間になるか」と学んだほうがいいのです。

 

 

 

感情というのは、無知によって生起したものだから、感情を客観的に確認するだけで消滅してしまうのです

 

 

 

それでは・・・・。