著者はテレビでもお馴染みの脳科学者・中野信子さん。
好き嫌いが分かれる人だとは思います(笑)。
アンチ派の意見通り、そんなに深みはないですし、エビデンスも不明瞭です。
が、新しい視点を与えてくれるので私は嫌いではありません。
ほんでもって、いつものように備忘録です。
実は、人間の生命活動を維持するためだけなら、「幸せ」はとくに必要ではありません。いや、むしろ邪魔になるものとさえいえます。なぜなら、もし幸せを感じていまの状態に満足してしまえば、「もうなにもしなくてもこれでいい」と思ってしまい、生きていくうえでの向上心を持つ妨げにもなりかねないからです。
脳科学の観点では、ずっと幸せを感じている人はおそらく精神を少し病んでいるか、薬物がもたらす多幸感によって中毒症状に陥っている人とみなすことができます。人間が「ずっと幸せ」でいるということは、おそらくほぼできないことなのです。
わたしは「幸せになるためになにかをする」状態が、人として健康な状態ではないかと考えています。幸せを得るために向上心を持って生きたり、目標に向かって自分なりに努力したり・・・。そんな行動を起こしている状態が、人間の幸せな姿に思えるのです。
意識や性格などの要素はオプション
「受動意識仮説」によると、人間にとって本当に重要なのは、消化器や呼吸器や生殖器であり、「意識」はそれらのシステムをうまく次世代に伝えていくたの、単なるコントロール装置に過ぎないのです。
多くの人は自分の意識や思考や性格などが自分のすべてを思いがちですが、そんなことはまったくなく、意識や性格はいくらでも変えていいということです。 中略 消化器や呼吸器が変わっていたら大変ですが、性格なんていくら変わっても、人間の存在にはまったく影響がありません。
幸せの基準はたくさんある
人生にはさまざまな正解
選んだ答えを「正解にする」ことのほうがずっと大切ではないでしょうか。実際に自分が本当に正解を選んだかどうかは、死ぬまで、いや、死んでからもわからないのです。
中略
本来、誰もが自分の好きなように生きていいのです。
日本人はもともと不安傾向の高い人が多い遺伝子プールがあるとされています。日本には自然災害が多く、それに備えるには楽観的な性格より不安傾向の高いほうが生き延びやすい環境であったわけです。
人間は集団でなければ生き残れない
多くの人は、利他的行動は美しく、またよいものだと感じます。
中略
それもすべて、人間が種として生き延びる確率を上げるためです。
なんのために生きている
実は、この問いには答えがないのです。わたしたちは、ただ生きているだけ。生きている理由を探そうと思っても、どこにもないのです。
中略
でも、理由がないということは、「どう捉えてもいい」ということなのです。どんな理由をつくっても、どれも間違いではない。誰も正解だとは保証してくれないけれど、自分ですべて決めていいのです。
中略
数学の言葉を借りると、人生の解は「不定」でしょうか。不定というのは、「無数の解が存在する」という意味です。
人は誰でも人生に迷います。どんな偉い人でも、大いに迷っていきるのです。とくに日本人は、もともとほかの民族に比べて自己肯定感が低いことが実験でも証明されています。でも、その生物学的事実を受け入れることは、決して不本意なことではありません。このように考えればいいのです。「わたしは、まだこんなに人生に迷える。そして、これから人生を変えていけるチャンスがあるのだ」
そこそこてめになる1冊なのでした。
薄いのですぐ読めます。
それでは・・・。