「反応しない練習」~其の壱

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仏教の教えには以前から興味があって

アルボムッレ・スマナサーラさんや

ティク・ナット・ハンさん

ひろ さちやさん、小池龍之介さん

枡野 俊明さん、酒井雄哉さんなど

いろんなかたの本を読んできましたが

この本の著者“草薙龍瞬 ”さんの

説明が一番わかりやすかったです。

 

すばらしいの一言です。

 

プロフィールを見ると1969年生まれ。

まだ若いのに。

 

いわゆる仏教とブッダの教えは違うので

合理的思考の“ブディズム”を

もっと日常に生かして欲しいと

いうのが著者の狙いのようです。

 

そういうだけあって説明が本当に

わかりやすい。

プロですね~、そりゃそうでしょうけど(笑)。

 

よくありがちな“上から目線”でも

ないですし。 ちなみに草薙さんは中学を退学して

高認を経て東大に合格されているので

その経歴をいかして勉強関連の本も

1冊出されているのですが、それ以外

この著作を含めて5冊出版されています。

 

私はその5冊すべてを読みました。

 

それぐらい感銘を受けたってことです。

 

1冊まるごと心に残っているのですが

例によって備忘録として特に刺さった部分を

書き出して置きます。

 

 

 

 

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なぜ人は、自分のこと、他人のこと、さらに

人生の目的や、生きることの意味まで

あれこれと「判断」したがるのでしょうか。

 

一つは判断することが自体が「気持ちよい」

ことが理由でしょう。

中略

判断は、それだけで「わかった気」に なれます。

中略

もう一つの理由は、「判断することで

認められた気分になれる」ことでしょう。

中略

自分は正しいと思える(承認欲を満たせる)

快楽があるのです。

 

 

 

怒りは、本人にとって「不快」な反応なので

その状態を解消したくて1「攻撃」か2「逃避」

を選択します。

中略

「逃避」はこんな形で出てきます。

無視する、さぼる、手を抜く、休む、引きこもる

ひたすら眠る、鬱になる、刺激・快楽に 依存する。

 

 

 

深夜に歩いてみれば、コンビニなど二十四時間

営業のお店をみかけることがあるでしょう。

そこで働いてる人の生活を想像してみて

ください。 いろいろな人生があることが

見えてきますよね。 人はみな孤独です。

でも、別の人の孤独を想うことができたら

そのとき孤独でなくなります。

 

 

 

問題は、今自分を否定してしまう判断を

どう止めるかなのです。

中略

仏教的な理解にてらせば、「自分を否定する」

という判断に、合理性はありません。

なぜなら、1その判断は苦しみを生んでいるし

2その判断は妄想にすぎない、からです。

事実でも有益でもない判断は、必要がないと

いうのが、ブッダの考え方です。

 

 

 

過去の汚れを捨てて、新たな汚れを作らない。

知恵にめざめた人は、思い込みから自由に

なって、自分を責めることをしない。

 

心の内側も、外の世界も、よく理解するが

よい。 ただそれによって自分の価値を

測ってはならぬ。 その思い(判断)は

よろこびにつながらないからである。

 

「自分は優れている」とも「劣っている」

とも「等しい」とも判断するな。

さまざまな言葉を受けても、自分の価値を

判断しないようにせよ。

 

さまざまな煩悩(評価・計らい・判断)が

消滅した境地こそが、よろこびである。

その者は、すでに勝利している。 他者に

負かされることは、もはやない。

 

スッタニパータ「論争について」

「速やかな成就」の師

 

 

 

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