なぜ神が必要なのか? ◆ 「心を整える8つの脳開発プログラム」



仏教の本を読んだことがあるかたはには、もはや説明不要だと思いますが、著者はスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老アルボムッレ・スマナサーラ氏。

 

この本は脳の仕組みについて書かれています。

 

 

その説明の中で、どうして人間は「神を必要とするのか?」について触れられているのですが、これが秀逸!目から鱗とは、まさにこのことだと思ったぐらい・・・(笑)。

 

 

神様については、物心ついてから今まで、ず~とわかったような、わからないような・・・、すっきりしない部分がありました。

 

が、長老の説明でかなり腹落ちしました。

 

 

 

今年、読んで良かった本のベスト3に入ります。

 

 

 

ほんでもっていつものように備忘録。

 



現代の教育に欠けているのは土台作りです。まず人間として生きるノウハウ、技術、智慧です

 

 

 

原始脳には「存在欲」「怯え」と「無智」の三つがあり、それを原動力としています

 

 

 

皆さんも渋々ながら、感じているでしょう?自分とは、結局は自己中心的だと。

中略

本来は自分のことしか気にしない生き物である、と。

中略

本当は自分さえ良ければいいと思っていることに、部分的にでも誰もが気づいているはずです。

 

 

 

人には生まれつきの性格があるのです。この生まれつきの性格とは、実は原始脳の働きぶりです。

 

 

 

原始脳はいつでも、「敵を見出してつぶす」という思考です

 

 

 

精神的な悩みとは

1.原始脳の誘拐されて、欲求に従わざるを得ない。

2.原始脳の欲求は決して満たせない

この2点に大脳のすべての能力が引っかかってしまいます。つまり、心穏やかにいられない理由は、ズバリこの葛藤の問題なのです。むしゃくしゃするのも、イライラするのも、落ち込むのも、うつになるのも、キレてしまうのも、すべて、この葛藤に由来します。

 



大脳しか知り得ない現実は、どのようなものでしょうか?生きていたいと思っても、それは大変なことなのです。死にたくないと思っても、それはけっして叶わないことです。原始脳にこの事実を理解することは不可能です。

中略

しかし、大脳は原始脳の命令ではたらくように配線されています。ですから、大脳は現実を無視しなくてはいけなくなるのです。

中略

大脳は思考することができますから、原始脳との葛藤ゆえに、現実離れした思考をするようにもなります。

中略

大脳は、こうして永遠不滅の世界、極楽浄土の世界、希望がなんでも叶う世界などを妄想します。妄想しているときは気分がいいです。なぜなら、妄想したような世界があれば、原始脳の欲求を満たしてあげることができるからです。それで、大脳はさらにがんばります。全知全能の神を妄想します。神と一体になる方法も妄想します。宗教・儀式・儀礼などを妄想して作ります。

中略

妄想すると、いくらか原始脳は落ち着きます。

中略

何とかして原始脳の存在欲と怯えを緩和しようとするのです。

 

 

 

さらに困った問題があります。原始脳を何とかして落ち着かせるために妄想する大脳ですが、妄想した世界が「ただの妄想である」とわかっていると、原始脳をうまくだませません。ですから大脳は、自分自身もだまされてしまうのです。

中略

そのうちすっかり、洗脳されてしまいます。理性をつかさどる機能が壊れてしまうのです。

 

 

 

 

信仰や神話の世界は、原始脳の欲望を満たすためのからくり、ごまかしにすぎません

 

 

 

自分が神の子であると言われたら、自分のエゴが大いに喜ぶのです。存在欲が刺激されて恐怖感が弱くなるのです。エゴ・存在欲・恐怖感とは、原始脳(獣の脳)の基本的な感情です。その感情にぴったり合う言葉なので、「汝らは神の子である」という意味合いの言葉が、いろいろな宗教でよく使われるのです。

 

 

 

「判断」はすべて決定事項ではなく、いつでも保留事項。新たなデータが入り次第、必要に応じて自分の意見を改良できるように、つねに、「pending(保留)」状態にしておくのです。

 

 

 

悪い妄想のループに入ってしまったら、その配線ばかり使うので、脳の他の配線が壊れてしまいます。理性や判断能力も壊れてしまいます。いったん精神病に陥るとなかなか治らないのは、こうした理由からです。

中略

治すには、脳に現れた悪い妄想の配線を壊さなくてはいけません。そのために、悪思考の妄想を善思考で置き換えるという方法を、お釈迦様は推奨します。

中略

ただ、善思考にかかわる言葉を念じてみるだけです。

 

 

 

覚えてください。生きることは、努力なくしては成り立ちません。

中略

人間の幸福は、すべて人間が努力して得たものです。

中略

お釈迦様は・・・、「祈れば叶うのならば、人類は努力をやめて祈ればよろしい」とおっしゃっています。

 

 

 

「ああ、今日はけっこうがんばれた」「今日は朝から晩まで、いろいろやって疲れるまでがんばった」「今日は充実感があった」など、努力したことをよろこぶのです。「ああー、疲れた。なんだ、この人生は」というような考えではダメです。

 

 

 

トラブルや問題などを不幸な出来事と見なしてはいけません。さまざまなトラブルや問題にめげずに対応することによって、生命は進化しました。生きることは、けっしてスムーズに流れるものではありません。ということは、私たちは、努力することによって、いくらでも進化するチャンスがあるということです。

 



得体の知れない何かを信仰する傾向が、人間の本能としてあります。それは原始脳から発信する刺激です。原始脳に存在欲があるのです。死にたくありません。永遠になりたいのです。原始脳に指示されると、大脳が「永遠の境地」を妄想します。その妄想の結果として、八百万の神々が現れてくるのです。

 

 

 

 

いや~読んでよかったです。

 

 

ちょっとだけ混乱した頭の中が整理されました(笑)。

 

 

 

それでは・・・・。