著者は「NHK 100分de名著」の常連講師 若松英輔さん。
「本は、ぜんぶ読まなくていい たくさん読まなくていい」という帯の言葉に惹かれて購入。
批評家であり随筆家であり、東京工大の教授でもあるこのかたの本を読んだのは今回が初めてです。
そんなにボリュームのある書籍ではないのですが、一言一言が刺さりまくり(笑)。
いい本に出合いました。
ほんでもって備忘録です。
そもそも私たちはそんなに多くのことを知らなくてはならないのでしょうか。私は、日ごろ本など読まないけれど、しっかりした人生観をもっている人を何人も知っています。
「正しい」読書というものは存在しません 誰もが自分の読み方が正しくないのではないかという不安を抱えながら本を読んでいる
出会うべくして出会った言葉が、私たちにもたらしてくれるもは、新しい「情報」というよりも、すでに心のなかにあるのに、私たちが見過ごしてしまっている何かなのです
書くことから始める
「読む」ことと「書く」ことは呼吸のような関係です
「うまく」書こうとしたとき、自分の心をよく感じられない
本は・・・
全部読んでもいいし、読まなくてもよいんです。大切なのは、言葉に出会い、言葉を糧とできるかどうかであって、多く読むことではありません。
中略
食べ物が私たちの体の糧であるように、言葉は私たちの心の糧です。
本は何を読むかが大切なのはいうまでもありません。しかし、さらに重要なのは「いつ」読むかなのです。
中略
読むべきときに読むべきものが読めたとき、私たちはほんの数行でも、あるいは、たった1つの言葉によってでも人生を変えられる、という経験に遭遇します。
読書とは、自分以外の人の書いた言葉を扉にして、未知なる自分に出会うことなのです
人がよいといったものではなく、自分がほんとうに必要だと感じたものを必要なときに手にする。その言葉は、たった一行の、あるいは一つの言葉である場合も少なくない。
どんな人にとっても、書くとは、自分の中にあって、容易に言葉にならない何かを再確認することなのです 読書とは、文字を追うだけだはなく、文字を扉にしてその奥にある見えないコトバに出会うこと
言葉は、人生という旅の「薬草」でもある 自分を変えてくれる一冊の本ではなく、一つの文章、ひとつの言葉を探す
じつは、多くの人が、不安を抱えながら読書をしています。自分の読みが、完全ではないのでないかと感じているのです。そうした人は、少ないどころか、ほとんどの人がそうなのです。ですが、そうしたおもいを口に出していう人は稀です。
読書への態度は、人生への態度と似ています。読書を楽しんでいる人たちの多くは、自分の読みが、不完全であることを受け入れているのです。
自分を変えてくれるかもしれない「本」を探すのはやめましょう。私たちが出会うできは、よく知られた書物だけではなく、一つの言葉です。
速読という言葉の背後には、多読がよいという価値観が潜んでいます。
中略
どんなに速く、多く読んだとしても、そこにたしかな手応えがなければむなしいのではないでしょうか。読書において、養っていかなくてはならないのは、「たしかな」感覚です。
悲しみの母は愛です。愛のあるところには、必ず悲しみがあります。
中略
愛するということは悲しみを育むことでもあるんです。
悲しむという行為そのものが、自分はたしかに何かを愛していたということの発見
人生に希望を感じることができない、ということと希望がないことは違います
読書は、時空を超えた旅。不自由なことがあるのが当たり前。トラブルも楽しんでみる。
「どんな本を読むのがよいのか」
どんなに優れた本でも、手にする時期を誤れば、その出会いが実を結ぶことはありません
「調べる」という言葉の意味を考え直してみると、それは「調査」に終わるものではなく、「調える(ととのえる)」営みであることが分かってきます
それでは・・・・。