重厚感のある映画 ◆ 「スモーク・アンド・ミラーズ 1000の顔を持つスパイ」



「実際に起きた事件をベースにしたサスペンススリラー。スペイン政府に裏切られた過去を持つ元諜報員が、同国を揺るがす巨大詐欺事件を引き起こす姿を追う」シネマトゥディ

 

非常に雰囲気のいい映画です。映画らしい“重厚感”があります。

 

ただ、実話ベースのせいなのか、“派手さ”が欠けるような・・・。

 

まぁ、それを差し引いて及第点だと思います。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2016年 スペイン 日本語吹替えあり

本当に素晴らしい ◆ 「ブロンクス物語」



以前、「俳優兼監督で結果を残しているのは“クリント・イーストウッド”だけ」と書きましたが、訂正。この作品、主演・監督が ロバート・デ・ニーロなのですが、いや~素晴らしい!

 

この人の出演映画は、本当にハズレが少ないので(ないと言っても過言ではないかと・・・)俳優さんとしてはものすごく評価していました。しかし、監督としての才能もあるなんて、驚きです。

 

この作品も含めて、監督作品は2本しかないので、もっと撮ってほしいですね。

 

 

 

デニーロ自身が育った60年代のブロンクスが舞台。一人の少年と、彼の誠実な父、彼が憧れるマフィアのボスの物語。

 

雰囲気はいいし、役者陣も渋い!セリフ回しも深みがありました。

 

超おススメです(笑)。

 

 

ちなみに、この作品、日本語吹替えはありません。参考までに。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

1993年 アメリカ 日本語吹替えなし

「自分って何?」の答えは・・・ ◆ 「ほんとうの自分のつくり方」



榎本博明先生の本をこのブログで紹介するのは、「『嫌われたくない』をどうするか?」「やる気がわいてくるたった1つの方法」に続いてこれが3冊目。

 

今回は非常に中身が濃く、前出の2冊が“スピンオフ”のように思えます。 本を読みなれている人は、この本を選んでいただいたほうが手っ取り早いです。そんなに読まないってかたは、消化不良を起こすかもしれません。なので、榎本さんの本を何冊か目を通してからのほうが、しっくりくるかもです。

 

もちろんメインテーマは「自己物語の心理学」。

 

 

日常私たちが感じる思いの理由を、具体的に解析してくれています。 例えば、高校時代の仲間と集まっているところに、会社の同僚がいるのに気づいたとき、何んとも言えないような気まずさって経験ありますよね?「その原因は・・・」という感じです。

 

 

何度も読み返したくなるような情報量でした。

 

ほんでもって記憶の定着の意味でも備忘録を残しておきます。

 



僕たちは、言葉のために生きていると言ってもよいかもしれない。自分らしさをあらわす言葉、つまり自己定義を守るために生きているようなところがある。

 

 

 

多くの人は、自分がどのような自己物語を生きているのかがつかめないでいる。だから、自分がわからないということになる。

 

 

 

僕たちは、主体的に自分の人生を生きているかのように思い込んでいるけれども、実際には文化的に注入された物語的枠組みを用いて、素材として自己の諸経験を一定の人生の形に綴りあげているのだ。つまり、自己物語というのは、個人が勝手に生み出すものではなく、文化的な基盤をもつものなのである。

 

 

 

自己の探究

「自分とは何か?」といって問い方よりも、「自分はどうありたいか?」という問い方のほうが正しい

 

 

 

自己物語を失った現代人の危険性

このような時代には、自分によくフィットする自己物語を構築する産みの苦しみゆえに、何らかのわかりやすい物語、単純明快に自分の生に意味を感じさせてくれる物語に安易に同一化していく危険も大きい。ナチスが勢いを得たのもそうした物語欠如の時代であったし、わが国でもたとえば学生運動内ゲバが流行ったのが伝統的価値観の揺らいだ時代であった。

 

 

 

僕たちはわかりたいという欲求を強く持っている。

中略

他人なら他人の、自分なら自分の正体を知ることこそが必要になる。

中略

自分は・・・といった答えを見つける。そうすると、自分の日頃の行動の説明がついて、一応はスッキリする。それで損したり、苦しんだりすることはあっても自分の行動に関する説明がついて、自分が何者であるかのヒントが少しでも得られると、それだけで気持ちが落ち着く。損得なしに、わかるということそのこと自体が大切なのだ。

 

 

 

伝統的な価値観や生き方が否定され、破壊された後の世界を生きている僕たちは、どこからか適当な価値観を探し出してきて、自分の物語を築き上げなければならない。

中略

そんな時代だからこそ、多くの人たちは、金儲けや出世への没頭、マイホームなどの物質的追求への没頭、音楽への耽溺、性的耽溺、インターネットの世界への耽溺、新興宗教など思想団体への帰属など、我を忘れさせてくれ、根なしの不安から束の間でも解放してくれる現実逃避の場を求める。

 



語る中で何かが見えてくる。語るということは、まだ意味をもたない解釈以前の経験に対して、語ることのできる意味を与えていくことだ。

 

 

 

何度も何度も語り直す中で、納得のいく適切な文脈が生み出されていく

 

 

 

僕たちが自己を語るとき、自己物語の語り方の多くのバージョンのうちどれを採用するかは、聞き手の反応を見ながら決めているのである

 

 

 

人からよく相談される人というのは、じっくり相手の話に耳を傾けてくれる人であるはずだ。相談者は、答えをすぐに出してほしいのではなく、まずはじっくり話を聞いてほしいのだ。語りたいのだ。相談に行って、親切にもこちらに代わって即座に答えを出してくれる人がいたとして、それは助かったと素直にその回答を採用するほど、僕たちは単純素朴ではない。だいいち、本人がいくら考えてもわからない難問に対して、事情もよくわからない他人からそんなに簡単に答えを出されてはたまらない。

中略

こうしたケースでは、悩みや迷いを話した相手が答えを出してくれたわけではない。相手に事情がわかるように話して聞かせているうちに、これまでとは違った視点からの回答がふと思い浮かんだのである。

 

 

 

語ることによって、無数の可能性の中からひとつの意味が確定する。それによって、形のないモヤモヤした経験に特定の形が与えられる。語ることで経験がすっきり整理されるというのも、モヤモヤしたものに何らかのはっきりした形を与えないかぎり語ることができないからなのだ。

 

 

 

生き方を揺さぶられるような出会いというのは、自分の人生に関してこれまでとは違った振り返り方を可能にしてくれるような出会いのことである

 

 

 

居酒屋で高校時代の友達と一緒に盛り上がっているとき、後ろのテーブルに職場の同僚がいたりしたらどうだろうか。気づいたとたんに、照れというか、ばつの悪さというか、何んとも言えない気まずさを感じざるを得ない。べつに職場のことを話題にしていたわけではなくても、ちょっとした困惑を意識するのがふつうだろう。それはなぜかと言えば、僕たちは相手によって見せている自分が多少ずれているからだ。

 

 



 

いつもと違う相手を前に自己を語ることは、これまで気づかなかった人生の意味に気づくきっかけになったりする。相手とのやりとりの中で、自分が思わず語ったことがらを後で反芻してみて、ハッとすることがある。視点を揺さぶられたことによって、新たな意味に気づかされたのだ。

 

 

 

僕たちの語りは、なんとしても聞き手に承認してもらわなければならない。語り手は、自分の身に降りかかった事実を相手にわかりやすく語っているつもりでありながら、聞き手の反応に合わせて語り直されていく自己物語は、聞き手とのやりとりを通して作り直されていく。

中略

ということは、僕たちの抱える自己物語は、聞き手とのやり取り通して、たえず書き換えられていることになる。つきあう相手によって自分が知らず知らずのうちに変わっていくというのも、こうしたメカニズムによるわけだ。

 

 

 

僕自身、大学時代は理科系だったのに、どうして文科系の心理学に移ったのかと人から聞かれるたびに、返答に窮したものだ。今では、これが絶対に正しいという答えはないと思っているから、そのときどきで適当に答えればよいと居直っている。

中略

思えば、問いかけてくる相手に合わせて、その相手が納得してくれそうな答えを語っていたのではなかったか。ほんとうのところは、結局は自分でもよくわからないのだ。相手に納得してもらえるような説得をしているうちに、何となくそれが正しいような気がしてくる。

 

 

 

僕たちには、自分を首尾一貫した筋道をもっている存在とみなしたがる傾向がある。

中略

それが、自分さがしと言われるものであり、自己物語の探究である。自己物語は、語りの場で探究され、綴られていくのである。

 

 

 

対抗同一性とは、少数派であること、反主流派であることに積極的な価値を置き、自らの正当性や創造性を主張し、多数派や権力体制に厳しく対抗する生き方を身につけていることをさす。

 

 

 

視野が広がるという言い方がなされることがあるが、それは新たな視点を他者から取り入れることで、ものごとをより多角的に見られるようになることをさすものである

 

 

 

自分が嫌になるというのは、いわばこれまで生きてきた自己物語にうんざりしてきたことを意味する。そこでは、自己物語の書き換えが必要となる。

中略

自己物語を今の状況によりフィットしたものへと書き換えていく必要がある。 中略

手っ取り早いのは、語る相手を変えることだ。 価値観が似ているということは、心理学的にいえば、大きな心理的報酬となるのだ。どういう意味で報酬になるかと言えば、まず相手も自分と似たものの見方をするために、自分の考え方や感じ方の妥当性が支持されるということがある。人はだれも自分のものの見方や感じ方が妥当なものかどうかに不安を抱いているので、他人から与えられる支持はとても心強い支えとなる。

中略

お互いに相手の生き方を支持し合うことができるため、そのつきあいは双方にとって報酬となるというわけだ。

 

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

何とはなしに気分がいい映画 ◆ 「マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり」



40歳のバツイチ男性が、友人の紹介で24歳の女性と待ち合わせ。そこに、恋愛とは縁のない、妙に理屈っぽい34歳の女性が登場。

 

男性は勘違いしたまま、女性は本当のことを言いせずにデートがスタートするって展開です。

 

 

非常に心温まるラブストーリーで、観終わった後、何とはなしに気分がいい映画です(笑)。

 

おススメ。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2015年 イギリス 日本語吹替えあり

これは面白い! ◆ 「レイジング・ドッグス」



銀行強盗が人質と共に、逃走するシンプルなストーリー。

 

ですが、エンディングが素晴らしい。

 

これっぽっちも想像していなかった展開に・・・。

 

“意表の突度かれ合い”でいうと、私がここ数年観た作品では、間違いなく1番でしょうね~。

 

本当にびっくりしました(笑)。

 

 

いや~楽しめました。

 

映画はこうでなくっちゃ。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2015年 フランス / カナダ 日本語吹替えあり

十分鑑賞に堪える仕上がり ◆ 「アントニオ・バンデラス SECURITY セキュリティー」



元軍人、しかも大佐まで上り詰めたつめたような人物が主人公。

 

詳細は述べられていませんが、どうやら精神的に少し病んでいるようで、仕事が見つかりません。「最低賃金でいいから」となんとか見つけた職が、深夜のショッピングモールの警備。

 

初出社の日、たまたまマフィアがらみの事件に巻き込まれて・・・て展開です。

 

 

 

くだらない作品が多い中、十分鑑賞に堪える仕上がりになっていました。

 

まぁまぁおススメです(笑)。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2016年 アメリカ 日本語吹替えあり

C級(笑)アクションムービー ◆ 「3時間/THREE HOURS」



アメリカの女性工作員が中東で、我が子を誘拐されるってお話。

 

ヒロイン役の女優さんのアクション、ルックス、脇を固める役者さんの演技・・・。

 

いや~どうなんでしょう。

 

1/3で見切りをつけました。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2015年 アメリカ / スペイン / イギリス / モロッコ 日本語吹替えあり

“アフガニスタン・中東の戦争モノ”では1番! ◆ 「ある戦争」



設定自体はよくある“対タリバン”の戦争モノ。ただ従来のアフガニスタン・中東関係の作品とは“毛色”が違います。

 

 

敵に襲われ、仲間が瀕死の重体。相手を退け、その兵士を救うには空爆しかないという状態。ですが、敵の居場所を特定していないので、当てずっぽうでは、味方も空からの攻撃はできません。

 

隊長は仲間を救うため、「座標●●で敵を発見」とウソをつくんですね~。そのおかげで、九死に一生を得た兵士は本国の病院から「隊長のおかげです・・・」と映像のメッセージを送ってきます。

 

万々歳のはずが・・・。空爆した地域に民間人や子供がいたことが判明。隊長は裁判にかけられます。

 

正義感あふるる隊長は、罪を償うつもりでした。しかし、夫の留守中、3人の幼き子供の面倒をみてきた奥さんから「子供はどうなるの?死んだ子供と、生きている子供とどちらが大事?」とまたまた“究極の選択”を迫られます。

 

 

いや~、正論を振りかざすのは簡単ですが、自分が当事者ならと考えると、これは答えが出るものではありません。

 

オチは映画で確かめてください。

 

面白かったです。

 

今まで観た“アフガニスタン・中東の戦争モノ”では1番のできではないかと・・・。俳優さんも展開も地味なのに、素晴らしい出来栄えです(笑)。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2015年 デンマーク 日本語吹替えあり

映像が最高! ◆ 「キングコング:髑髏島の巨神」



第二次世界大戦後、衛星の発達で“未知の島”を発見。

 

そこには信じられないような生物が存在していたってストーリーです。

 

展開自体に斬新さはありません。が、映像がすばらしい。アングルなんかは、かなりかっこよかったです。

 

 

この監督の他の作品が観てみたいなと・・・。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2017年 アメリカ 日本語吹替えあり

どんなことも、楽しんでできるようになる心の操縦法 ◆ 「やる気がわいてくるたった1つの方法」



またまた心理学博士榎本博明先生の本です。

 

帯には「自分を動かすストーリーをつくろう!」とあり、どんなことも意味づけ次第で、取り組みかたがかわってくるというのが今回のテーマです。

 

 

またもや感銘を受けた文言が多いので、いつものように備忘録。

 



実存分析という心理療法を提唱したフランクルは、「人間は意味を求める存在である」という。「人間は快楽を求める存在である」というフロイトや「人間は権力を求める存在である」というアドラーに対して、フランクルはそのような人間が多いのは事実だと認める。だが、その背景には、意味への挫折があるとみなす。

 

 

 

「やりたいこと」をいくら探したところでなかなか見つかるものではない。「やりたい仕事じゃないと続かない」などと言って辞めていたら、そのうち仕事にありつけなくなる。

中略

やりたいこと志向は、目の前の仕事、自分が今やるべきことに集中できない自分、勤勉に慣れない自分、能力を発揮できない自分をごまかすための言い訳として使われているような気がしてならない。

 

 

 

アイデンティティ拡散とは、これが自分の生き方だといえるものが定まらず、さまざまな「なりたい自分」、「なれそうな自分」、「こうはなりたくない自分」などを前にして、どうしたらよいかわからなくなったり、何にもなれないのではないかといった切迫感にさいなまれるなど、自分を見失った状態をさす

 

 

 

実存哲学者ニーチェも、現代人は神話を奪われていると言ったが、実存心理学者ロロ・メイは、私たち現代人の不安の源泉は、神話を失ったことにあるという(「自分さがしの神話」)

 

 

 

同じセミナーの講師の話が、聴く側がストーリーをもつかもたないかで、意味あるものになったり意味のないものになったりするのである

 

 

 

いきなり大がかりなストーリーをつくろうとする必要はない。ほんのささやかなストーリーでいい。ちょっとした仕掛けで、仕事の意味が見えてくる。 人生で成功している人たちは、そのちょっとした仕掛けに成功しているのだ。

 

 

 

何とかなるさ!

「それは、あきらめることではありません。開き直ることでもありません。その状況を冷静に受け入れ、きっとどこかに『道』はある、と信じること。そして、今の自分にできることを精一杯やることなのです」(宇宙飛行士 山崎直子

 

 

 

私たちは、自分独自の人生を生きているつもりでありながら、じつは既存のストーリーを借りてきて、それに則って生きているのだ。共感を覚えたストーリーの断片が、いつの間にか心の中に取り込まれ、そのエッセンスをもとに自分のストーリーができあがっている。

 

 

 

長所と短所は連続体なのである。 今まで投げかけられたコメントを思い出す中で短所が見つかったなら、その裏側に潜んでいる長所を発揮する気持ちで・・・

 

 

 

挫折のない人生などありえない

 

 

 

私たちは主観的な思い込みの世界を生きている。そして思い込みには現実を導く力がある。「無理」「できない」などと思ったら、実現に向けた努力にブレーキがかかり、実際に実現しない。「何とかなるはず」「きっとできる」と思えば、実現に向けた努力に拍車がかかり、本当に実現できてしまう。思い込みの力は、思いのほか強力なのだ。単なる思い込みだなどと侮れない。

 

 

 

「成功」のための秘訣を解説する本がやたらと売れているそうだ。なぜ、その種の本が次々に売れるのか。それは、どれを読んでも「成功」に近づけないからだ。成功したいという思いが先走ると、かえって成功は遠のくものだ。

 

 

 

目標を具体化するうことが大事だといって、具体的なアクションリストを並べることがよく行われる。

中略

目標は、実は抽象的なままのほうがよいのだ。そのほうが幅広く応用がきく、いろいろな具体的場面で、行動を後押しする力になる。

 

 

 

野球やサッカー、卓球など、どんな球技でも、負ければ悔しいが、勝とうが負けようがゲーム自体は楽しいはずだ。仕事を楽しむコツは、結果にとらわれずにまずは集中し、全力をだしきることだ。

 

 

 

先のことはだれにもわからない。何が起こるかをコントロールすることなどできない。逆に言えば、偶然起こるできごとをも取り込めるようでないと、人生は行き詰る。

 

 

 

人間は社会的動物なのだから、社会的役割を生きるしかない。「自分らしく、自由に」というフレーズだけでは、社会に根を下ろすことはできないのである。

 

 

 

カウンセラーやコーチは、アドバイスや解決策を与えるのではなく、本人に気づきを促す役割を担うのである

 

 

 

私たちは、ストーリーなしでは生きられない。人生の行き詰りはストーリーの行き詰りだと言ってよいだろう

 

 

 

「あっそういうことね!」て今まで謎だったことが腑に落ちました。榎本さん、すばらしいですね(笑)。

 

 

 

 

それでは・・・・。