著者は大原健士郎さん。精神科医で浜松医科大学名誉教授。専門は自殺研究、森田療法。2010年にお亡くなりになっています。
具体的な事例を紹介しながら、心の病について説明するってスタイルで書かれています。
またまた、ためになる箇所がめじろおしだったので、ここから先は備忘録です。
特に“うつ病”と“神経症”の違いについての箇所は気になるところです。
「やる気」のある人とは、やりたいことをやるのではなく、その立場でやるべきことをきちんと「やる人」のことである
森田理論
森田は神経質傾向に生の欲望が盛んだと考えた。そして、生の欲望に沿って建設的な生活を送っている人は健康な人とした。そして神経症とは、何らかの原因によって生の欲望が挫折し、これまで外に向かって活動していた精神的エネルギーが自分自身に向かい、もともと正常範囲で変動している心身の変化なのに、これを異常と見なして、それにとらわれ、精神的エネルギーを非建設的に浪費している人とした。彼はこの非建設的に浪費している精神的エネルギーを「死に恐怖」と呼んだ。
神経症は根本的に治さないと、症状が次から次へと変わっていくことがある
1.うつ病は心身のエネルギーがなくなり、悲嘆、落胆が目立つ。神経症は訴えは多いが顔つきもよく、元気だ。
2.うつ病の場合、しばしば自殺を図る。神経症では自殺を口にしても、実行することはまずない。
3.うつ病だと食欲がなく、一か月に10kg~15kgもやせるが、神経症では体重があまり減らない。
4.うつ病では、90%の人が不眠症(早期覚醒)になる。神経症では不眠を訴える人は少なく、訴えるケースは寝つきが悪いというもので、いったん眠ると十分に睡眠をとっている。
5.うつ病では、気分の日内変動といって日中の気分がよかったり、悪かったりする変わり方が激しい。神経症にはそれがなく、いつもグジュグジュ言っている。
6.うつ病の病前性格は、自分を犠牲にして他人のために尽くそうとする他人本位のものが多いが、神経症では概して自分本位でわがままである。
7.うつ病では自然治癒もあり、適切な治療をすれば短期間に治る場合が多い。神経症は放置しておくと、何年間も続くことが多い。
8.うつ病では、抗うつ薬がよく効く。神経症では不安や強迫観念がひどいときに精神安定剤や抗精神薬で症状を軽減させる場合もあるが、基本的に薬で完治させるのは困難である。
9.神経症は心身のエネルギーはたっぷりあるが、その使い方が下手で、非建設的なことばかりしているので、一見「やる気」がないように見えることが多い。うつ病はエネルギーが乏しく、何かしたくてもできない。第三者から見ると「やる気」がないように見える。
10.神経症は悪いクセがついているので、甘やかさず「愛のムチ」を振るうことも時には必要だ。しかし、うつ病では励ましたり、しかったりすると、自責的になり、自殺の危険性が出てくる。
中略
成人の百~二百人にひとりは発病するという一般的な病気だから、自分もその素質はあると考えておいたほうが無難である。
心の病気を治すには、まずリズムをつくることだ。生活上のリズム崩しは、身体のリズムを崩し、やがて心のリズムを崩す
現代の中年男性の自殺を社会的に見れば、事業や仕事の破綻である。生物学的に見れば、そのほとんどがうつ病である。心理学的に見れば、孤独である。
人間は誰しも、勉強や仕事が好きなわけではない。学校に行かないで家でゴロゴロしてテレビを見たり、ゲームをしているほうがよほど楽しい。勉強や仕事は好きだからするのではなく、社会のなかで生きていくために、やらなければならないからである。
頭のなかで、いくら「ああでもない、こうでもない」と思案していても、問題は解決しない。行動を起こすことが大切だ。朝夕のジョギング、図書館通い、スイミングスクールやバッティングセンターなどの利用。何でもいい。とにかく、モヤモヤした精神的エネルギーを、明るく活発な身体的エネルギーに転換させるべきである。
「やる気」がなくなったからといって、すぐに、それは心の病気だというわけではない。たとえば、「今夜は食欲がない」といっても、すぐに「胃腸の病気だ」ということにはならない。
中略
人間の体調や気分は、年がら年中同じ状態ではない。多少の幅をもって、よかったり、悪かったりをくり返している。
人間はもともと動物で、よほどのことがない限り、喜び勇んで勉強をしたり、仕事をするようにはできていない。やらねばならないことは、いやいやながらやるのが普通である。
最後の一文はまさにその通りですよね。知らぬ間に「好きなことを仕事にすれば、楽しいはずだ」という風潮に飲み込まれていました。
それでは・・・・。