殻を破ってなりたい自分になる! ◆ 「『行動できない』自分からの脱出」



心理カウンセラー大嶋信頼さんの本です。

 

表紙に「あなたを縛る『暗示』にサヨナラ」とあります。

 

何かにつけ失敗を怖がったり、考えすぎたりして行動できないのは、あなたに近しい人からの暗示なのだと。悪意のある暗示ではなく、「変わってしまったら私の元を去ってしまう」とか「いつまでも私の子供でいてほしい」とか、あなたのことを心配している人の、本人も気づかない思いが敏感なあなたに伝播してしまっているそうな。

 

「これは本当の私ではない・・・」「これは私の考えではない・・・」とわかれば現状を変えれますよって内容です。

 

 

大嶋さん自身、別の本で「あくまで仮説」だとおっしゃっています。当然、エビデンスがあるわけではなく、かなりスピリチュアルな内容。(※精神分析そのものが怪しげっちゃ、怪しげですが・・・)

 

でも、「こう考えたら、ガテンがいくな~」てストーリーではあるんですね。なので、面白いです。

 

私はこの人の本をたくさん読んでいるので、「もういいかな~(笑)」てことで「読む必要なし」に分けましたが、悩みをなんとかしたいというかたで、大嶋さんの本は読んだことがないのなら、新しい気づきがあるかもです・・・。

 

 

大嶋さん、他の著作

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それでは・・・・。

「根拠のない自信」が人生を変える ◆ 「自分はこんなもんじゃない」の心理



著者は“自己物語の心理学”、榎本博明先生。

 

何かと批判的に言われる「自分はこんなもんじゃない」というフレーズ。

 

でも榎本さんは、向上心がないとこの気持ちにはならないと書かれています。問題はこの言葉を隠れ蓑にして、行動に移さないことだと。

 

やりたいことではないから「本気をださない」、本気じゃないから失敗しても「本当の実力じゃない」という論法で逃げていては何も変わらないと。

 

目の前のことに集中すれば、たとえ“やりたいこと”ではなくても、“できること”が増える。“できること”が増えれば、それにともなって“やりたいこと”も変化していく。なので、やいたいことにこだわったり、やいいことがみつからないと嘆いていないで、今、すべきことに全力を出し切る。その過程で自分が磨かれていくのだと。

 

 

読み手として気になる点が1つ。若者に理解してもらうために、やたら“ヒット曲”の歌詞が引用されています。それはそれで良いのですが、問題はその量です。多すぎて、読みにくい(笑)。  

 

それ以外は毎度、毎度の素晴らしいすばらしい内容でした。

 



未来を信じ、思い切って一歩を踏み出し、必死にもがき暴れることを通して、潜在的なものが顕在化し、自分らしさがつくられていく

 

 

 

「自分はこんなところにずっといる人間じゃない」「自分はこんなもんじゃない」と言いながら、仕事も適当で、自分を鍛えることもしていない。他人を見下し、自分が優位に立っているかのような幻想をもつことで、自分の中の不満や不安から目を背けようとする。

中略

そんな風に自分を慰め、逃げてるだけじゃ、いつまでたっても自分らしい人生は手に入らない。

 

 

 

ビジネス書のキャッチフレーズについて

魔法があるなら、誰も苦労はしない。ちょっとしたコツで簡単に成果がでるなら、そのコツはもっと広まっているはずだ。1時間で頭がよくなる方法があるなら、みんなが頭が良くなっているだろう。

中略

本当に仕事で充実している人は、地道な努力と試行錯誤の末に、自分なりのやり方にたどり着いている。そうした格闘のプロセスが、さまざまな気づきを生み、仕事力を高めるのだ。

 

 

 

自分への不満や自己嫌悪は、向上心のあらわれとみることができる。「自分はまだまだ未熟だ」という思いが向上心を生み出す

 

 

 

どんな生き方が自分らしいのかわからないという人は、どんな生き方もありだとなると、かえってどう生きたらよいのか悩むことになる

 

 

 

向上を目指すから、「どうしたらよいか」迷い、「うまくいくか」不安になる。だから迷う自分を気に病む必要はない

 

 

 

「わからないから不安」というよりも、「わからないからワクワク」する。「わからないから可能性がある」と考える

 

 

 

「自分のやりたいことは何だろう」などと考えるよりも、まずは動くこと、何でもいいから必死になって取り組むことで、「できること」が増えていく。「できること」が増えれば、自然に「やりたいこと」も変わっていく。そんな移ろいやすい「やりたいこと」なんかに振り回されることはない。

 

 

 

思い返してみよう。5年前、10年前に、今の自分を予想していただろうか。

 

 

 

一見無駄なことをする道草。それが将来の肥やしになる。無駄を切り捨てる暮らしをしていると、偶然のチャンスをつかむこともできない。

 

 

 

自己をひとつの封じ込めずに開いておく。

中略

プロメテウス的人間は、環境の変化に応じて自分自身を変身させ、そのつど自己の可能性を発揮しながら、自己を発展させていく。新しい自己を求めて、終わりなき実験としての変身を繰り返す。

※プロメテウス・・・変幻自在に姿を変えることができるギリシャ神話の海神

 

 

 

いやいや、ためになりました。

 

 

 

それでは・・・・。

 

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なぜ世に出せたのか? ◆ 「2020」



2017年に観た映画の中で、間違いなく“ワースト3”に入ります。

 

映像・キャスト・展開・・・すべて魅力なしです。

 

こんなレベルで、吹替えを収録するのは経費の無駄。他にもっと吹替えが観たい作品があるのにな~と思う今日この頃です。

 

“怖いモノ見たさ”で観てみたい人以外は、借りないでください(笑)。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2017年 アメリカ 日本語吹替えあり

マジ酷いっす ◆ 「帰ってきたMr.ダマー バカMAX!」



“緊張と緩和”など知る由もなしという感じで、もう最初から“ボケ倒し”。まったくメリハリがありません。

 

見るに堪えない展開なので、開始20分でストップしました。

 

ちょっと酷いっすね~(笑)。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2014年 アメリカ 日本語吹替えあり

重厚感のある映画 ◆ 「スモーク・アンド・ミラーズ 1000の顔を持つスパイ」



「実際に起きた事件をベースにしたサスペンススリラー。スペイン政府に裏切られた過去を持つ元諜報員が、同国を揺るがす巨大詐欺事件を引き起こす姿を追う」シネマトゥディ

 

非常に雰囲気のいい映画です。映画らしい“重厚感”があります。

 

ただ、実話ベースのせいなのか、“派手さ”が欠けるような・・・。

 

まぁ、それを差し引いて及第点だと思います。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2016年 スペイン 日本語吹替えあり

本当に素晴らしい ◆ 「ブロンクス物語」



以前、「俳優兼監督で結果を残しているのは“クリント・イーストウッド”だけ」と書きましたが、訂正。この作品、主演・監督が ロバート・デ・ニーロなのですが、いや~素晴らしい!

 

この人の出演映画は、本当にハズレが少ないので(ないと言っても過言ではないかと・・・)俳優さんとしてはものすごく評価していました。しかし、監督としての才能もあるなんて、驚きです。

 

この作品も含めて、監督作品は2本しかないので、もっと撮ってほしいですね。

 

 

 

デニーロ自身が育った60年代のブロンクスが舞台。一人の少年と、彼の誠実な父、彼が憧れるマフィアのボスの物語。

 

雰囲気はいいし、役者陣も渋い!セリフ回しも深みがありました。

 

超おススメです(笑)。

 

 

ちなみに、この作品、日本語吹替えはありません。参考までに。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

1993年 アメリカ 日本語吹替えなし

「自分って何?」の答えは・・・ ◆ 「ほんとうの自分のつくり方」



榎本博明先生の本をこのブログで紹介するのは、「『嫌われたくない』をどうするか?」「やる気がわいてくるたった1つの方法」に続いてこれが3冊目。

 

今回は非常に中身が濃く、前出の2冊が“スピンオフ”のように思えます。 本を読みなれている人は、この本を選んでいただいたほうが手っ取り早いです。そんなに読まないってかたは、消化不良を起こすかもしれません。なので、榎本さんの本を何冊か目を通してからのほうが、しっくりくるかもです。

 

もちろんメインテーマは「自己物語の心理学」。

 

 

日常私たちが感じる思いの理由を、具体的に解析してくれています。 例えば、高校時代の仲間と集まっているところに、会社の同僚がいるのに気づいたとき、何んとも言えないような気まずさって経験ありますよね?「その原因は・・・」という感じです。

 

 

何度も読み返したくなるような情報量でした。

 

ほんでもって記憶の定着の意味でも備忘録を残しておきます。

 



僕たちは、言葉のために生きていると言ってもよいかもしれない。自分らしさをあらわす言葉、つまり自己定義を守るために生きているようなところがある。

 

 

 

多くの人は、自分がどのような自己物語を生きているのかがつかめないでいる。だから、自分がわからないということになる。

 

 

 

僕たちは、主体的に自分の人生を生きているかのように思い込んでいるけれども、実際には文化的に注入された物語的枠組みを用いて、素材として自己の諸経験を一定の人生の形に綴りあげているのだ。つまり、自己物語というのは、個人が勝手に生み出すものではなく、文化的な基盤をもつものなのである。

 

 

 

自己の探究

「自分とは何か?」といって問い方よりも、「自分はどうありたいか?」という問い方のほうが正しい

 

 

 

自己物語を失った現代人の危険性

このような時代には、自分によくフィットする自己物語を構築する産みの苦しみゆえに、何らかのわかりやすい物語、単純明快に自分の生に意味を感じさせてくれる物語に安易に同一化していく危険も大きい。ナチスが勢いを得たのもそうした物語欠如の時代であったし、わが国でもたとえば学生運動内ゲバが流行ったのが伝統的価値観の揺らいだ時代であった。

 

 

 

僕たちはわかりたいという欲求を強く持っている。

中略

他人なら他人の、自分なら自分の正体を知ることこそが必要になる。

中略

自分は・・・といった答えを見つける。そうすると、自分の日頃の行動の説明がついて、一応はスッキリする。それで損したり、苦しんだりすることはあっても自分の行動に関する説明がついて、自分が何者であるかのヒントが少しでも得られると、それだけで気持ちが落ち着く。損得なしに、わかるということそのこと自体が大切なのだ。

 

 

 

伝統的な価値観や生き方が否定され、破壊された後の世界を生きている僕たちは、どこからか適当な価値観を探し出してきて、自分の物語を築き上げなければならない。

中略

そんな時代だからこそ、多くの人たちは、金儲けや出世への没頭、マイホームなどの物質的追求への没頭、音楽への耽溺、性的耽溺、インターネットの世界への耽溺、新興宗教など思想団体への帰属など、我を忘れさせてくれ、根なしの不安から束の間でも解放してくれる現実逃避の場を求める。

 



語る中で何かが見えてくる。語るということは、まだ意味をもたない解釈以前の経験に対して、語ることのできる意味を与えていくことだ。

 

 

 

何度も何度も語り直す中で、納得のいく適切な文脈が生み出されていく

 

 

 

僕たちが自己を語るとき、自己物語の語り方の多くのバージョンのうちどれを採用するかは、聞き手の反応を見ながら決めているのである

 

 

 

人からよく相談される人というのは、じっくり相手の話に耳を傾けてくれる人であるはずだ。相談者は、答えをすぐに出してほしいのではなく、まずはじっくり話を聞いてほしいのだ。語りたいのだ。相談に行って、親切にもこちらに代わって即座に答えを出してくれる人がいたとして、それは助かったと素直にその回答を採用するほど、僕たちは単純素朴ではない。だいいち、本人がいくら考えてもわからない難問に対して、事情もよくわからない他人からそんなに簡単に答えを出されてはたまらない。

中略

こうしたケースでは、悩みや迷いを話した相手が答えを出してくれたわけではない。相手に事情がわかるように話して聞かせているうちに、これまでとは違った視点からの回答がふと思い浮かんだのである。

 

 

 

語ることによって、無数の可能性の中からひとつの意味が確定する。それによって、形のないモヤモヤした経験に特定の形が与えられる。語ることで経験がすっきり整理されるというのも、モヤモヤしたものに何らかのはっきりした形を与えないかぎり語ることができないからなのだ。

 

 

 

生き方を揺さぶられるような出会いというのは、自分の人生に関してこれまでとは違った振り返り方を可能にしてくれるような出会いのことである

 

 

 

居酒屋で高校時代の友達と一緒に盛り上がっているとき、後ろのテーブルに職場の同僚がいたりしたらどうだろうか。気づいたとたんに、照れというか、ばつの悪さというか、何んとも言えない気まずさを感じざるを得ない。べつに職場のことを話題にしていたわけではなくても、ちょっとした困惑を意識するのがふつうだろう。それはなぜかと言えば、僕たちは相手によって見せている自分が多少ずれているからだ。

 

 



 

いつもと違う相手を前に自己を語ることは、これまで気づかなかった人生の意味に気づくきっかけになったりする。相手とのやりとりの中で、自分が思わず語ったことがらを後で反芻してみて、ハッとすることがある。視点を揺さぶられたことによって、新たな意味に気づかされたのだ。

 

 

 

僕たちの語りは、なんとしても聞き手に承認してもらわなければならない。語り手は、自分の身に降りかかった事実を相手にわかりやすく語っているつもりでありながら、聞き手の反応に合わせて語り直されていく自己物語は、聞き手とのやりとりを通して作り直されていく。

中略

ということは、僕たちの抱える自己物語は、聞き手とのやり取り通して、たえず書き換えられていることになる。つきあう相手によって自分が知らず知らずのうちに変わっていくというのも、こうしたメカニズムによるわけだ。

 

 

 

僕自身、大学時代は理科系だったのに、どうして文科系の心理学に移ったのかと人から聞かれるたびに、返答に窮したものだ。今では、これが絶対に正しいという答えはないと思っているから、そのときどきで適当に答えればよいと居直っている。

中略

思えば、問いかけてくる相手に合わせて、その相手が納得してくれそうな答えを語っていたのではなかったか。ほんとうのところは、結局は自分でもよくわからないのだ。相手に納得してもらえるような説得をしているうちに、何となくそれが正しいような気がしてくる。

 

 

 

僕たちには、自分を首尾一貫した筋道をもっている存在とみなしたがる傾向がある。

中略

それが、自分さがしと言われるものであり、自己物語の探究である。自己物語は、語りの場で探究され、綴られていくのである。

 

 

 

対抗同一性とは、少数派であること、反主流派であることに積極的な価値を置き、自らの正当性や創造性を主張し、多数派や権力体制に厳しく対抗する生き方を身につけていることをさす。

 

 

 

視野が広がるという言い方がなされることがあるが、それは新たな視点を他者から取り入れることで、ものごとをより多角的に見られるようになることをさすものである

 

 

 

自分が嫌になるというのは、いわばこれまで生きてきた自己物語にうんざりしてきたことを意味する。そこでは、自己物語の書き換えが必要となる。

中略

自己物語を今の状況によりフィットしたものへと書き換えていく必要がある。 中略

手っ取り早いのは、語る相手を変えることだ。 価値観が似ているということは、心理学的にいえば、大きな心理的報酬となるのだ。どういう意味で報酬になるかと言えば、まず相手も自分と似たものの見方をするために、自分の考え方や感じ方の妥当性が支持されるということがある。人はだれも自分のものの見方や感じ方が妥当なものかどうかに不安を抱いているので、他人から与えられる支持はとても心強い支えとなる。

中略

お互いに相手の生き方を支持し合うことができるため、そのつきあいは双方にとって報酬となるというわけだ。

 

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

何とはなしに気分がいい映画 ◆ 「マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり」



40歳のバツイチ男性が、友人の紹介で24歳の女性と待ち合わせ。そこに、恋愛とは縁のない、妙に理屈っぽい34歳の女性が登場。

 

男性は勘違いしたまま、女性は本当のことを言いせずにデートがスタートするって展開です。

 

 

非常に心温まるラブストーリーで、観終わった後、何とはなしに気分がいい映画です(笑)。

 

おススメ。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2015年 イギリス 日本語吹替えあり

これは面白い! ◆ 「レイジング・ドッグス」



銀行強盗が人質と共に、逃走するシンプルなストーリー。

 

ですが、エンディングが素晴らしい。

 

これっぽっちも想像していなかった展開に・・・。

 

“意表の突度かれ合い”でいうと、私がここ数年観た作品では、間違いなく1番でしょうね~。

 

本当にびっくりしました(笑)。

 

 

いや~楽しめました。

 

映画はこうでなくっちゃ。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2015年 フランス / カナダ 日本語吹替えあり

十分鑑賞に堪える仕上がり ◆ 「アントニオ・バンデラス SECURITY セキュリティー」



元軍人、しかも大佐まで上り詰めたつめたような人物が主人公。

 

詳細は述べられていませんが、どうやら精神的に少し病んでいるようで、仕事が見つかりません。「最低賃金でいいから」となんとか見つけた職が、深夜のショッピングモールの警備。

 

初出社の日、たまたまマフィアがらみの事件に巻き込まれて・・・て展開です。

 

 

 

くだらない作品が多い中、十分鑑賞に堪える仕上がりになっていました。

 

まぁまぁおススメです(笑)。

 

 

 

それでは・・・・。

 

 

 

2016年 アメリカ 日本語吹替えあり