天台宗ハワイ開教総長 荒了寛和尚の著作。
帯に「磨きこまれた 珠玉のことば」とあります。
「看板に偽りなし」とは、まさにこのことでしょう。胸に刺さりっぱなしです。
特に
「苦しみがなくなるのではない 苦しみでなくなるのだ」
という文言は一生忘れないでしょうね~(笑)。
ほんでもって備忘録。
人はなぜ悩み苦しむのかといえば、「こうあらねばならない」と自分で自分を縛ったり、身近な人、あるいは他人さえも縛ろうとするからだといえるね。でも、この世界に決められていることなんて何もなく、何事も常に変化し続けているというのが本当のところなんだな。
「生きる極意」のようなものがあるのかといえば、「自分で自分を縛らない」「物事にこだわらない」「人や物に依存しない」の三つがポイント
はた目から幸せそうに見えても、悩みや苦しみのない人なんていないよ。人は自分の弱さを知って強くなっていくんだ。
苦しみがなくなるのではない 苦しみでなくなるのだ
人はなんで苦しむのかというと、自分では「思うようにならない」ことがあるからなんだ
苦しくて当然 悪くてあたりまえと思っていれば どんな人生もなかなかいいものです
善いことも悪いことも 上手につきあっていくんだね 二度とない人生だもの
生まれを選ぶことはできないが 生き方は自分で選ぶものです
つらい状況がずっと続くわけはないし、必ずチャンスがくると楽観的にかまえて、自分らしく生きることを基本にすえて、日々の生活が乱れないことが大事だよ
子育てよりも、まず「自分育て」が先決でしょう。子育てはたいへんなことです。自分も育てられない人間が、子供を育てられるはずがありません。
「生きるための手段」と「生きる目的」を混同してはいけません 「ああ、今日はよくがんばったな」「ひとつ成長したな」という実感こそが、日々の喜びであり、自分らしく、そうした毎日を積み重ねることが、「自分を生きる」ことになるんだよ
誰でも 生きていれば 誰かに愛され 誰かに嫌われているものです
どうにもならないことを どうにもならないと 諦めるのが悟りです
死ぬことに恐怖感を持ってしまうのは、おそらく、死そのものよりも痛みや苦しみをともなうことへの怖れと、なんの前ぶれもなく死が突然訪れることへの怖れがあるからだろう
生きる価値があるから 生かされているんだ 生かされているから 一日一日ありがたいんだ
いやいや、ほんとためになりました。
それでは・・・・。
こだわらないとらわれない [ 荒了寛 ] |