これが初めてかも・・・ ◆ 「言葉は凝縮するほど、強くなる」



「一人の呼ぶには大きすぎ、二人と呼ぶには人口の辻褄が合わない」

 

これは、古舘伊知郎氏が、新日本プロレスの実況をしていた頃、アンドレ・ザ・ジャイアント を評した発したフレーズです。

 

 

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タイトルや構成は、言葉を巧みに操る古舘伊知郎さんの“ノウハウ集”のような感じです。

 

結論的にいうと、よほど言葉回しに自信があるかたには、“使える”本ですが、話術にコンプレックスがあるひとには、まったく役に立たないかと・・・。

 

仮に、真に受けてこの本に書いてあることを実践した日にゃ~、もう“大やけど”ですよ、きっと(笑)。

 

それぐらい、“古舘節”炸裂です。

 

 

 

じゃ、買う価値がないか言うと、さにあらず、とにかく面白い。

 

書籍という媒体で、これだけおもしいものに出会ったのは、これが初めてかもしれません。

 

満員電車の中で読んでいても、思わず口角が上がってしまうぐらい・・・。

 

 

もともと“古舘伊知郎”が嫌いってかたには、おススメしませんが、それ以外の方は楽しめるのではないのでしょうか。

 

 

 

それでは・・・・。

 

要するにどういうこと? ◆ 「超訳『カタカナ語』辞典」



普段よく耳にする“カタカナ語”。

 

なんとなく文脈で意味は分かった気でいるものの、自信をもって人に説明できない言葉ってありますよね?

 

この本は、そんな悩みをサクッと解決。

 

“超約”とあるだけに、日本語一言でスバッと意訳。見開きページに詳しい説明と使い方、という構成。非常にわかりやすいです。

 

 

ニュアンスでとらえているより、きっちり言語化(しかも端的に)して理解しているほうが、アタマの中がすっきりしますしね。

 

これは使えます。

 

 

 

内容は

 

エスプリ・・・お!気が利いてるね

コンフィデンシャル・・・二人のナ・イ・ショ!

リテラシー・・・使いこなす力

 

てな感じで、ほぼ見聞きした覚えのあるものが約260語。

 

ぼけ~と流してるだけでも楽しめます(笑)。

 

 

 

それでは・・・・。

 

人が抱える苦悩の原因は、三つに大別できます ◆ 「こころを洗う技術」



日本では宗派に属さない僧侶・草薙龍瞬さんの本は、受験関係の1冊を除いてすべて目を通しています。

 

 

さすがに、飽きてきました(笑)。

 

 

ただ、そうは言っても、ためになる記述は多いので、いつものように備忘録。

 



反応を減らす方法が、ラベリングです。「これは貧欲」「これは怒り」「これは妄想」とはっきり自覚できれば、その反応は消えるプロセスに入ります。というのも「反応する」のと「理解する」ことは、意識の使い方としては、正反対です。だから、意識を「言葉で理解する」ことに使えば、「反応」に従っていた意識の量は減り、悩みも解消されていくという原理です。

 

 

 

洗い流すべきは、目的につながらない、無意味な妄想です。

中略

こうした妄想をやめられないのは、ひとつは簡単だからです。ほとんどエネルギーが要らない。際限もない。ひとりで、どこにいても、寝ている間さえも、妄想することは可能です。

 

 

 

求めすぎる心に歯止めをかけよう。出ないと、心は渇き続ける。満たされなさが、いつまでも続く。

 

 

 

妄想を見なければ、欲しがることもない・・・

中略

「どうせ手に入れても、妄想が満足するだけで、現実はさほど変わらない」

 

 

 

「過去」も「誰か」も、アタマに残っている妄想です

 

 

 

心に残るわだかまりの一切は、結局は、妄想なのです。妄想に執着している(同じ精神状態が続いている)ということ。

 

 

 

人は、他人について「わかったようなこと」を語るのが、大好きです。しかも欲望や悪意に基づいて妄想したがるので、つい人をネガティブに語りがちです。

 

 

 

「これは有益か、後に残るか」と、つねに自問する

 



後悔=怒り+妄想

「それは過去です。今となっては妄想です。もはや存在しません」

 

 

 

未来は、妄想ではなく方向性。あくまで作業の積み重ねで、たどり着くもの

 

 

 

「何ができるか、何をすればよいか」と、方法本位、作業本位で考える

 

 

 

人は、執着したがる生き物です。特に承認欲ー自分が価値ある存在だと認められたい・認めさせたいという願いーに、多くの人がしがみついています。しかし、その願いの多くは「なくても生きていける」ものです。

中略

こうした、“本来なくてもよかった願い”に執着したころから、人は“勘違い”を抱え始めます。自分を肯定できなくなるのです。

 

 

 

心の渇き・心の重荷は、「なくていいもの」を「なくてはならない」と勘違いしたことに始まっています

 

 

 

ブッダの理解に基づけば、“心は、無駄な思いに執着し続ける反応の集合体”にすぎません。心の正体は、ただの反応であって、実態はないのです。

 

 

 

理解を求めるのは、心の性質です。ところが人は、自分の判断ー自分はこう思うーで一杯です。

 



心は判断されることを求めていない。理解されることを望んでいる。

 

 

 

“人生には苦しみが伴う”という事実を、相手に、すべての人々に、そして、あらゆる生命に向ける 業とは、同じ反応を繰り返すようにと、心の奥から働きかけてくる力です。

中略

これは、無自覚のうちに繰り返している“反応パターン”のようなものです。「心のクセ」と呼ぶことも可能です。

 

 

 

見えないからこそ、繰り返すーそれが業の特徴です

 

 

 

心のクセが抜けるほど、幸せなことはありません

 

 

 

業の遺伝

1 学習して、そっくり同じ心のクセを背負う

2 反発して、怒りの業をこちらが育てていく

 

 

 

この世界を突き動かしているのは、人間の心に潜む“業”である

 

 

 

人が抱える苦悩の原因

1反応ー外の世界に触れて、心が動くこと。いわゆる「心の漏れ」。

2執着ー一度生まれた反応が結生して、心の状態として持続すること

3業ー同じ反応を繰り返すように、心の底から促してくる力

 

 

 

人生において、何が本当に価値があることかーそこに答えが出せれば、多くの迷いは解消できます

 

 

 

「やりたいことが見えない」「自分が何に向いているか、わからない」と悩む人がいますね。これは“欲求”に基づいて考えているからです。

中略

正しい思考に基づくなら、「自分」や「欲求」には囚われません。大事なことは、役割を果たすこと、人の役に立つことなのです。

 

 

 

苦しいときは「思考が間違っている」と考える

 

 

 

 

それでは・・・・。

 

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その弱点にはわけがある! ◆ 「にがてが消える心理学」



ビジネス心理研究家の神岡真司さんの著作。

 

「にがてが消える心理学」とありますが、内容は幅広く人間心理の特性を扱っています。

 

名著「影響力の武器」の簡素化版って感じでしょうか。

 

 

とは言え、学ぶところも多かったのでいつものように備忘録です。

 



「落ち込みやすい人」の特徴として、プライドが高く、自分に厳しい点が挙げられます

 

 

 

周りの目を気にする原因として「依存心の強さ」と「完璧主義」が挙げられます

 

 

 

「他人がどう思おうと自分の評価基準はこれ」という物差しを持つことができれば、他人の目は気にならなくなります

 

 

 

損失回避性

損失回避性とは損失を利益より高く評価する人間心理のことで、これが大きい人ほど被害者意識が強い傾向がある

中略

プライドが高い人や時間・精神的に余裕のない人ほど、この感情をいだきやすい。

 

 

 

自己肯定感の低い人は、何かと「他人と自分を比較」していまいます。自分を認めることができないため、つねに欠乏感があり、それを穴埋めするべく他人との比較を行ってしまうのです

 

 

 

みんなから好かれようと思わない、どう思われようと構わないと考えてください。実際すべての人に好かれることは不可能です。どんな人気者でも敵はいるものです。

 

 

 

産業心理学の専門家、ピアーズ・スティール氏によれば、世界の人口の95%が「ギリギリまで仕事を先延ばしする」、つまり「自分で決めたことを守らない」傾向があるというのです。

 

 

 

行為者ー観察者バイアス

人間は他人の行動を評価するとき、その人の状況ではなく「能力・性格」で判断する傾向があります。一方、自分自身の行動を振り返るときは、その原因を「他人」「状況」「運」といったものに責任転嫁しがちです。つまり他人には厳しくて自分には甘い、判断の仕方が公平ではないということです。

 

 

 

やる気がでない理由はいくつもありますが、代表的なものが「やることが漠然としている」「時間的、心理的な余裕があり過ぎる」「求めている結果がなかなかでない」です

 

 

 

それでは・・・・。

 

幸福の追求だと思ってやっていることは・・・ ◆ 「ブッダの教え一日一話」



またまたスマナサーラ長老の本です。

 

タイトル通りブッダの教えがカレンダーのように、1日に1テーマで書いてあります。

 

簡潔でありながら、ハッとさせられる言葉のオンパレード。

 

 

テーラワーダ仏教に触れると、「大乗仏教ってどうなん?」という感じになります。本屋さんたくさん並んでいる仏教のお坊さんの書籍。そのほとんどが大乗仏教系なので、それを除外すると選ぶのが楽かもです(笑)。

 

 

ほんでもって備忘録。

 



さまざまな苦しみの中から、自分にとって有意義な苦しみをを選びましょう

 

 

 

人生を「障害を乗り越えるゲーム」ととらえましょう

 

 

 

苦のもとは、たったひとことで言えば、「嫌だ」と思うことです

 

 

 

幸福の追求だと思ってやっていることは、Aという苦しみに耐えられなくなって、Bという苦しみへ「引っ越し」することなのです

 

 

 

いままであった苦しみがさっと消える瞬間に「気分がいい」と感じます

 

 

 

それなりに不幸でないと、喜びはないのです

 

 

 

「自我」がまわりの人々に、「妻」「子供」「部下」と、いろいろな役割を割りあてて、「そのとおり演じなさい」と求めるのです。相手が自分の期待したパートを演じないと、怒ったりするのです。自分が監督で、世界は自分の思ったとおり動いてほしいと思うのです。

 

 

 

「捨てるのはもったいない。申し訳ない」という気持ちもわかりますが、「解放されたぞ」という気分で、すっきり捨てましょう

 

 

 

必要以上にものがたくさんあるのは、多くを依存していて、人格ができていないのです。高価なものを置きたがるのは、依存が強くて気が弱いのです。

 

 

 

「得る道」は、依存を増幅する道です。不自由な道です。「捨てる道」は、自由を獲得する道です。

 

 

 

生命は他からの支えがないと、成り立ちません。生きるとは、あらゆるものに支えられていることです。それは「布施されている」ということなのです。だから多量の布施を受けて生きている私たちは、「他の役に立つ」という布施を行わなければならないのです。

 

 

 

結果はもはや変えられません。しかし、原因は変えることができます。原因が変われば、結果は変わります。

 

 

 

人はとにかく不完全なものです すべてのものは不完全。何ひとつ完全なものはない。それが真理です。「いかに完全に近づくか」ということが、生きる道です。その道は限りがなく一生続くのです。

 



哲学的なことは生き方とは無関係

「宇宙の心理とは何か」「仏とは何か」などと、えんえんと論じても、意味がありません。そのような議論は、生き方とはまったく関係のないことであり、それによって心が清らかになるわけではありません。

 

 

 

自信がないと、神の力とか、宇宙の力というようなものに頼ろうとします

 

 

 

世の中にあるのは、神の力ではなく、「変化する」という法則です

 

 

 

私たちは、いつでも自分を評価して生きています。

中略

悪いことをすれば、自分の良心が、自分に高得点を入れることはありません。

 

 

 

「いま・ここ」の自分を観察することで、妄想は止まります。

中略

でも、油断しないでください。心は「いま・ここ」から脱線したがるのです。心は破滅的な妄想が好きなのです。そんな心のからくりに負けないように。

 

 

 

私たちは妄想に時間を費やして、「いまできること」をきちんとやっていないのです。そうなると、やがて自己嫌悪に陥ってしまいます。自己否定から、未来への希望をふくらませます。すると、ますます「いまできること」をやらなくなってしまいます。

 

 

 

「私」という実感があらわれるたび、人はわがままになって、かたくなになっていくのです。ほんとうは、「私」は、流れる川のようなもので、生きるという「流れ」に過ぎないのです。「私」という実感は、流れる川を止まっていると認識するような、錯覚です。

 

 

 

無駄な知識は不要なだけでなく、かえっていのちとりにもなります。あまり余計なことを考えすぎて妄想が膨らんでしまいます。そのため、いまやるべきことがおろそかになって、いつも不安と焦りで追い立てられているような生き方になってしまうのです。

 

 

 

生命は、目的なく走り続けています。

中略

不安と苦しみのため、「何かをしなければいけない」と、焦っていろいろなことをやっているのです。これが、生命というものの本質です。この不安と苦しみの消えた状態こそ「悟り」なのです。

 

 

 

「世の中は問題ばかりだ・・・」と言ってっ困った顔をする人がいます。しかし、この世の中で問題にならないものが、何ひとつとしてあるでしょうか。 

 

 

 

心はいつも楽なことを選びます。心は慣れているもの、クセになっているもの、簡単に行えるものを、先に選ぶのです

 

 

 

怠け心を絶った瞬間から、人生はとれも楽しくなります

 



未来に願いをもつよりも、「いまの自分には何ができるか」を考えたほうがいい。「今の自分を、どう向上させていくか」が大切です

 

 

 

いま何をやっているかによって、次の結果が出ます。つねに「いま」、いいことをやっておけば、次はいい結果がでるのです。

 

 

 

人は妄想するのが楽しみなので、シンプルな人生は嫌なのです。幻想の世界に閉じ込められると、「いまここの人生」は失敗してしまいます。

 

 

 

人は、いいことなら「いつか」やるつもりでいます。「そのうち」「あとで」と、先延ばしします。悪いことなら、いますぐやれます。「いまだけのことだから」とやってしまいます。

 

 

 

人の寿命は秒数で計算できるのです。そうとらえると、人生とは一秒一秒、回数券が減っていくだけなのです。

 

 

 

会社選びは、「自分が発展できるかどうか」というところで決めるのがいいのです

 

 

 

日々、自分を育てる

 

 

 

人が変わらないと何も変わらない

文明が進歩し、生活環境は便利で快適になりました。さまざまなトラブルに対処するために、法律を定めたり、システムをつくったりしますが、本質は何も変わっていません。それは結局、「人」が変わっていないからでしょう。

 

 

 

どんなことがあっても、その都度、この経験から何を学べるのかと、人格向上に努めるのです

 

 

 

仏教では、人格を育てることを目的としているのです。行為を行うにあたって、儲かるとか、有名になるとか、有利になるということではなく、「人格が向上するかどうか」を基準にして生きることが大切です。

 

 

 

宇宙のはてや起源、大きさなどは、学んでも役に立たないし、やりきれません。これらのものは、学ばないほうがいいのです。それよりも、「どうすればよい人間になるか」と学んだほうがいいのです。

 

 

 

感情というのは、無知によって生起したものだから、感情を客観的に確認するだけで消滅してしまうのです

 

 

 

それでは・・・・。

 

どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて ◆ 「樹木希林 120の遺言」



タレント本と侮ることなかれ!ズシンとくるとくる言葉がてんこ盛りです。

 

本書の内容からすると、どうやら樹木さん、仏教に詳しいようで、仏教用語もところどころにありました。

 

 

古典から選び抜かれた名言には辟易だとお感じのかたへ。この本はいいお口直しなるかと思います。

 

 

ほんでもって備忘録。

 



とるに足りないように思える人生も、おもしろがってみると、そこに幸せが見つけられるような気がするんです

 

 

 

「もっと、もっと」という気持ちをなくすのです。「こんなはずではなかった」「もっとこうなるべきだ」という思いを一切なくす。自分を俯瞰して「今、こうしていられるのは大変ありがたいことだ」と思うと、余分な要求がなくなり、すーっと楽になります。

 

 

 

私のことを怖いという人もいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があると、それが弱みとなって、人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまうのね。

 

 

 

本物だからって世の中に広まるわけじゃないのよ。偽物の広まりやすいのよ。偽っていう字は人の為って書く・・・

 

 

 

どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて

 

 

病気のおかげで、いろんな気づきもありましたね。だって気づきをしないと、もったいないじゃない?せっかく大変な思いをするのに、それを「こんなふうになってしまって」と愚痴にしていたら、自分にとって損ですから。

 

 

 

私にとって家族への愛情は、“注がなきゃいけないな”っていう義務感とか倫理観からきているものだと思います

 

 

 

仲良くというよりは無関心でいることですね。家族に対しては、だいたいすべて、孫に至るまで無関心。

中略

すべての期待というのは、自分側から見た「こうであってほしい」でしょ?向こう側から見たらものっていうのはまた違うでしょう。

中略

期待をしなければ大丈夫ですよー。

 

 

 

世の中の人は、好きでなくても、見過ぎ世過ぎでいろんなことをやらなきゃなんなくて生きているのに、自分の好きなことをやって生きていられるということは、大変な感謝のことであり、なおかつ、それを求めたらば「好きなことやって食えるようになりたい」というのは、おこがましいことですよ。

 

 

 

覚悟っていうのをすると気楽ですよ

 

 

 

樹木さんの本、もう一冊ぐらい読んでもいいかな~と思いました。

 

 

 

それでは・・・・。

肥満に関する本は、この1冊でいい ◆ 「トロント最高の医師が教える 世界最新の太らないカラダ」



いや~この本は素晴らしいですね。

 

長い間、思っていた謎が氷解しました。

 

 

 

「朝食はたくさん食べても大丈夫」とか「プロテインは太らない」とか「人工甘味料はカロリーが低いので太らない」とか「食事はできるだけ小分けにしたほうが太らない」とか「肉は血糖値を上げないので太らない」とか・・・。

 

どうも、自分の経験と照らし合わせると合点がいかないような・・・。疑問が浮かぶたびに、努力が足りないだけなのだと無理に納得したりして(笑)。

 

 

 

私は筋トレをするので(お遊び程度ですが)、「空腹時間が長いと筋肉が分解される」「たんぱく質はストックできないので、小分けに飲むのが筋肉の材料になる」「プロテインは血糖値を上げないので太らない」etc・・・いろんな書籍やプロと言われる方の意見を信じていました。 ただ、どうもイマイチシャープになれない。結構、カロリー制限しているのに。それどころか、微増傾向・・・。

 

 

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ほんでもって内容はいうと、体重のカギを握るのはインスリンの分泌量なのだと。

 

カロリーは摂りすぎると肥える要素になるものの、あくまで一要素。減らせば減らすほどそれでまかなえるカラダになるようで、基礎代謝も半分ぐらいに減るのだとか。

 

 

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最近はやりの糖質制限インスリンが出過ぎないように、糖質を抑えるので太らないという理屈ですが、これも半分正解。

 

というのも、インスリン分泌量に糖質が与える影響は24%。他の要素が70%以上を占めるらしいです。遺伝的要素やインスリン抵抗性などが重要なんですって。

 

 

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普段のインスリン分泌量によって、体重の規定値が決定。ホメオスタシスによって必ず基準の体重に戻るようです。

 

それでもって、その人にとっての基準体重を下げるには、普段のインスリン分泌量を低く抑えることが大事。そのためにはインスリン抵抗性も抑える必要が・・・。

 

 

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モノを食べると少なからずインスリンが分泌。インスリンが分泌されない状態こそ、脂肪燃焼のタイミング。なので空腹時間がカギのようです。いわゆる“プチ断食”です。

 

 

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空腹で筋肉を分解してしまうなら、飢餓と戦ってきた人類はとっくに絶滅していただろうと(筋力が衰えたらますます狩りなどの成功率が下がるため)。飢餓のために脂肪があるのに、筋肉をエネルギーに変えるという理屈は、暖をとるために、薪があるのにソファから燃やすようなものだと・・・。いやはや、言われてみるとその通り。

 

 

 

このようなこがすべて、実験データをベースに語られています。エビデンスってやつですね。

 

 

帯に書いてある通り「肥満に関する本は、この1冊でいい」と思います本当に(笑)。

 

 

学べました。

 

 

おススメです。

 

 

 

それでは・・・・。

 

一言でいうと“生き方の心構え” ◆ 「ブッダが教える 損する人生、得する人生」



タイトルからすると経済とかお金を連想させますが、もちろん上座部仏教スマナサーラ長老の本ですので、そんな訳はありません。

 

一言でいうと“生き方の心構え”が主題ですかね~。

 

奇をてらった発言はなく、当たり前のことをきっちりと、そしてわかりやすく説明してくれています。

 

 

いつもながら長老の本を読むと“背筋が伸びる”感じが・・・、少しの間ですが(笑)。

 

 

現在、書店をにぎわす「なんでも簡単にできます」的な自己啓発系の書籍(読んでその気になれるので気持ちいいのですが・・・)。そんな本に飽きたかたにおススメします。

 

 

 

ほんでもって備忘録。

 



何事も「生きていれば・・・」の話です

 

 

 

人の心から余裕を奪い、人を怠けさせる。それが経済の発展、科学の進歩がもららすものの真の正体です。

 

 

 

自分が生まれた環境、置かれた状況は「挑戦」の場だと考えることです

 

 

 

「よし、この機会にたくさん学んでやるぞ」

 

 

 

いくらものを手に入れても、そのそばから別のものが欲しくなる。この「もっと欲しい」は、永遠に続きます。ものにこだわっていたら、いつまでたっても満たされるということがないのです。

 

 

 

幸福は相対的なものではなく、絶対的なもの 将来に何かを期待したり、目標にしたりして生きても、意味はないのです。その日、その日を充実して生きる。その日起きる課題や、問題としっかり向きあって一つひとつ丁寧に解決していく。それが充実して生きるというこです。

 

 

 

なければないで工夫が生まれます。頭を使うようになるのです。

 

 

 

「一歩前に踏み出す」ことが大切なのです。すると、「今度は何に挑戦してやろうか」という気概が生まれてきます。

 

 

 

「していただく」という感覚を持つと、些細なことでも、わずかなものでも、ありがたいと思えるようになります

 

 

 

「いただくもの」より「与えるもの」が多いということは、そのまま「徳」を積んでいることになる・・・

中略

「徳」を積んでいくことは、自分が成長することですし、命に力を蓄えていくことでもあるのです。

 

 

 

どのような状況においてお、生命力が私たちの安心、安全の礎なのです

 



喜びを与えられるひとは、周囲を明るくする人

 

 

 

信頼が持てない相手と一緒にいるのは、どう考えても損です

 

 

 

いったん信用を築いたからといって、そこに胡座をかいていたら、いつ失われるともしれない。それが信用の本質です。

 

 

 

「原始脳」は、なんでも意のままになるべきだという感情を持っています。大脳は現実に基づいて判断するので、すべて意のままにはならないのだと知っています。心の中で、いつも原始脳と大脳の葛藤が起きています。これは精神的なストレスなのです。

 

 

 

犯罪

原始脳には、「悪いこと」という判断はないのです

 

 

 

怠けたいという気持ちも、原始脳の感情です。よく考えてみましょう。仕事を怠けたい、サボりたい、という気持ちはありますが、給料だけたっぷりもらいたいでしょう。勉強を怠けたいが、試験には合格したいでしょう。食って寝るだけの人生を送りたいのですが、健康でスマートな身体を維持していきたいでしょう。

中略

原始脳の感情は、制御するべきです。努力して破壊するべきです。

 

 

 

怠けることによって原始脳は刺激され、正常な脳を侵していきます。

中略

人は怠けて成功するわけがないのです。苦労して頑張ってはじめて成功がある。原始脳は、この「当たり前のこと」がわからないのです。

 

 

 

一つのことを続けていくことができる人は、強い人です。

中略

瞬発力もときには大切ですが、人生はマラソンのようにロングランですから、やはり「続ける力」にはかないません。

 

 

 

足ることを知らないと、いくらお金があっても、いい暮らしをしていても、「もっと欲しい、もっと欲しい」という心がつねに急き立てられます。どこまでいっても満たされることのない心は、貧しいとしかいいようがないですね。

 

 

 

人の脳は「今のままでいい。幸福だ」と思うことが怖い、と感じるのです。これは脳の「ネガティブバイアス」というものです。 まず、自分に危険がないかをチェックする。それが獣の脳のプログラムです。

中略

人もこの獣の脳に支配されていると、まず、危険を感じてしまいますから、現状を素直に受け入れることができないのです。「どこか、危ないことがありやしないか?」という思いにとらわれていたら、「今がありがたい」と感じることはできません。

 

 

 

今回も学べました。

 

 

 

それでは・・・・。

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仕事とは呼吸のようなもの ◆ 「一生、仕事で迷わないためのブッダの教え」



アルボムッレ・スマナサーラ長老の本は、たくさん読んできましたが、これが一番グサッときたかもしれません。

 

ブッダの教えというより、仏教の考え方で、私たちの生活の悩みに答えてくれているといった内容です。

 

 

非常に実践的。

 

 

特に、仕事の意味ややりがいで悩むのは、ナンセンスなんだと。仕事とは、食事や睡眠や呼吸と同じで、やらないと生きていけないのだ。当たり前なんだ・・・というくだりには「はっ」とさせられました。

 

どんな生き物も、生きていくのはたいへんなのだとも・・・。

 

う~ん、惰眠から目が覚めました。すこしだけ(笑)。

 

 

ほんでもって読み返したいところがてんこ盛りなので、いつもより多めの備忘録。

 



一番大事なのは、問題の解決法を見つけることより、目線の持ち方を変えてみることなのです

 

 

 

そもそも人生とはチャレンジの連続 失敗しないよう最大限努力はするが、失敗したら、笑って済ませてしまう

 

 

 

元来、仕事とは呼吸のようなもので、やらなければ生きていけない。

中略

「何のために働くのか?」を改めて考えてみるなんて、ナンセンス。

 

 

 

お金を盗まれたとき、「大金でなくてよかった」「これからはお金をもっと大事に使おう」と考えることだってできます。事実は事実として変わりませんが、それをどうとらえ、反応するかは自分で選ぶことができるということを、けっして忘れないでくださいね。

 

 

 

ぜひとも「楽しいほうに目を向ける」癖をつけてください。事実があなたを苦しめるのではありません。その事実をネガティブにしかとらえられない精神状態が、あなたを苦しめているのですよ。

 

 

 

「落ち込み」などというものは、あくびをするようなもの。日常の、ちょっとした瞬間に、ちょくちょく出てくるものなのです。

 

 

 

大切なのは気分の入れ替え

運動をするのでも、休憩するのでも、音楽を聴くのでも構いません。自分の精神状態に気づき、意識的にコントロールすることが大事です。

中略

いつもはやらないことをちょっとやるだけで、気分はけっこうかわるものです。

 

 

 

仕事とは、「人のために何かをすること」です

 

 

 

社会が「マスター(主人)」で、すべての人は、その下で働く「使用人」

 



自分の都合や希望とは関係なしに、社会から与えられた役割をこなす。これが仕事の原点です。

 

 

 

みんなが嫌がっている仕事を自分がやれば、周囲は喜んでくれる。みんなに感謝され、必要とされる。それこそ仕事の醍醐味です。

 

 

 

結局、「仕事に楽しみが見つけられない」という人は、「自分はもっとこんな仕事がやりたい」「こんな能力があるはず」と勝手に思い込んで、わがままをいっているだけなのです。

 

 

 

「たかが仕事」と気づくだけで、驚くほど人生が楽になる 「会社でこんな嫌なことがあった」「こんなにも大変だ」「こんな苦しいことを、なぜ自分がやらなければいけないんだ」と苦しみばかり考えてしまう。人間にはそういう癖がついているのです。

 

 

 

つらく、苦しい状況に耐えるために心を鍛えるのではなく、その状況で楽しみを見つけられるように、健全な精神を鍛える。それが大事なのです。

 

 

 

環境は自分の外にあるものなので、管理することも、操作することもできません。しかし、自分の心は管理できます。そのことを忘れずに、いつでも心を健康にして、どんな状況からでも楽しみを見つけられる人になってください。

 

 

 

「自分の話など、相手は聞きたくない」が基本

 

 

 

コミュニケーションの極意

「どうしたら相手が喜ぶか」「何を聞きたがっているか」を考え、工夫することです。コミュニケーションとは「相手に喜びを与えること」だからです。 中略

「自分の意見は自由にいっていい」というのは傲慢で、独善的な考えです。

 



人の話を聞くとき 自分に役に立つものだけを聞いて、他は無視する

 

 

 

仕事

目的の前では個人の価値観も、性格も、関係ありません

 

 

 

私たちは誰しも環境を変えることはできません。つまり、自分自身を変えることで、環境に適応するしかないのです。

 

 

 

平穏な日常を暮らしていると、「私たちは協力しなければ生きていかない」ということをすぐに忘れてしまい、またしても競争の世の中に戻ってしまいます

 

 

 

本来、時間とは命そのもの。そして、どんな時間も一回しかない

 

 

 

本来的には、「代り映えのしない一日」など、存在しないのです。ただ私たちは、その変化を体感できていないだけ。体感できるほどの変化は、その積み重ねからしか生まれないものだからです。

 

 

 

すぐに消え去っていく時間。その積み重ねの中で、自分がどう変わり、成長していくかを意識する。

 

 

 

私たちは身の程を知らなければいけません。自分自身が管理できるのは、せいぜい自分の心ぐらいしかありません。それ以外のものはすべて、あなたの思いや期待とは関係なく、勝手気ままに動いていきます。

 

 

 

自信の源になるのはズバリ経験です。

中略

自信とは能力によって生まれるのではなく、経験によって熟成されるもの。 リーダーは「相手に自信をつけさせる」のが仕事

 



教える側は「相手が理解できるように教える」義務を背負い、教わる側は「無条件に受け入れ、ただひたすら学ぶ」べき立場であることを認識する

 

 

 

余程の修行を積んだ人格者でもない限り、「怒らずに叱る」なんて、できるわけがないのです

 

 

 

あなたがやりたいことを(あるいは、やりたいように)するのではなく、「人や会社がやって欲しいと思うこと」をやる。これが仕事です。

 

 

 

結局私たちは環境に適応することで、生きていくしかありません。環境を把握し、受け入れて、順応していくしかないのです。その際にもっとも大事なのが、「いちいち心を揺さぶられないこと」。何があっても何がなくても、予定通りに進んでも進まなくても、「まあいいや、それはそれでよろしい」と開き直って、淡々と、冷静な気持ちでいることが肝心。

 

 

 

周囲の環境は変えられなくても、自分でできることは必ずあります ずっと働き続けなければ、どんな生き物も生きていけません。犬も、猫も、ネズミも、人間も、忙しく働き続けることによって、かろうじて生きているのです。まさに生きるというのは、死なないために必死で支え続けることです。

 

 

 

死なないように必死で動き続けることが、すなわち生きるということなのです

 

 

 

瞑想には、頭の中にある自分のプログラムをリセットする効果があります

 

 

 

「学ぶのをやめること」は「生きるのをやめること」

 



動物たちは(もちろん人間も)、本能だけで生きているわけではありません。たとえば、動物園にいる動物の中には、子どもを産んでも育児放棄をしたり、自分で食べ物を獲らなかったり、巣をつくらなかったりするものがいます。あきらかに本能とはかけ離れた行動です。

 

実は、彼らが失ってしまったのは、本能というより「学ぼうという意欲」「学ばなければ生きていけない」という切迫感です。学びがない状態では、そこまで堕落してしまうのです。人間も同じです。学びを忘れてしまったら、その命はどんどん堕落してしまいます。

 

 

 

その環境が正しいとか、間違っているとか、そんなことは関係のない話、自然の環境が変化すれば、それに適応したものだけが生き残るのは当たり前の話

 

 

 

 

それでは・・・・。

 

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悪条件に遭遇しないと、進化が起こらない ◆ 「ブッダの瞑想と脳科学」



もはや説明不要だと思われますが、著者はテーラワーダ仏教の長老アルボムッレ・スマナサーラ さん。

 

原始脳に振り回されず、瞑想によって大脳を鍛え、理にかなった生き方を手に入れましょうって内容です。

 

私には、以前紹介した

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のほうがわかりやすかったです。

 



生きるとは、命、生命とは「知る機能がある」という意味です

 

 

 

脳細胞は、自分を生かしてくれる他の細胞組織のために、マネージャーの役を担っているのです。だからといってマネージャーは親分ではありません。

 

 

 

命は儚いものです。では、その事実を原始脳に教えられますか?不可能です

中略

そこで、大脳はうまいことやろうとして、いろいろな幻想をつくり、妄想するのです。たとえば、「死んでも魂は死にません。神様が迎えに来て永遠の命を与えてくれる」などなどの妄想概念を使って、愚かな原始脳に落ちついてもらおうとします。

 

 

 

命が永遠であるならば、存在欲は不必要です。命は永遠なりという言葉は、「命は脆い」という現実に対する不満をごまかすための慰め、自己暗示なのです。

 

 

 

悪条件に遭遇しないと、進化が起こらないのです。なのに、人は誰も悪条件を期待しません。いつでも良い条件を欲しがります。もし、不運にも良い条件ばかり遭遇したら、進化ではなく退化してしまうのです。進化するために悪条件が欠かせないというのは、面白いポイントです。

 

 

 

実際のところ、世の中の人間の大半は「創造論」を信じているのです。ただ信じているだけで、証拠はありません。しかし、「創造主を信じることで永遠の命を確保できる」と信じ込んだほうが大脳は落ち着くのです。それは真理に背く麻薬作用です。大脳の普通の働き方は、開発の方向に進みません。反対に、退化して破壊する方向に進んでいるのです。

 

 

 

大脳に集中力を経験させたいならば、呼吸など何か一つの行動にあえて意図的に集中してみることです。

 

 

 

すべての生命は、眼耳鼻舌身意に入る情報を自分の都合に合わせて瞬時に捏造します。

中略

捏造した理解のことを、概念というのです。 新たな神経回路を丁寧につくる作業が瞑想実践です。

 

 

 

私たちが何かやろうと思ったら、社会はそれを攻撃するのです。これは初めからわかっていることです。学生さんたちが、就職のために面接に行くと、他の学生さんたちも応募しているので競争になることはわかっています。これは悩みにはなりません。

 

 

 

自分の敵とは、結局、自分自身なのです

 

 

 

心は放っておくと堕落する

 

 

 

それでは・・・・。